Q.この子は、家じゃ私の言うことを聞かないんです。先生、ここで何とかしてもらえませんでしょうか?(中学生・男子)
A.こうした実感をお持ちの保護者の方は多くなってきているように感じられます。一生懸命育ててこられて、ここまで大きくなったお子さんが、自分の言葉に耳を貸さなくなってきた、そうした状況に日々直面している保護者の方(特にお母さんに多いようですが…)の胸中には、穏やかならぬものをお察しします。
そこで肝心なことですが、このご要望に対して「はい、分かりました。ご希望に沿えるよう、ご指導させていただきましょう。」と容易に返答したとして、それで本当に「ご希望に沿える」、つまり「問題解決」が図れるかどうかです。誠実にお答えするならば、それは残念ですが「そんな簡単にお約束できることではありませんよ」と申し上げるしかありません。どうかご立腹されないで、ゆっくりと説明させて下さい。
このご相談の場合、親御さんと子どもの間に「考え方の違い」があることが分かります。「言うことを聞かない」理由はたいていここにぶつかっているように見受けられます。中学生の考えですから、まだ未熟でいろんな矛盾を抱えています。当の本人は大まじめに考えていますけれど、大人にはそのようには映りません。ですから、考えを一致させようするなら親御さんの考えに合わせることを当然と考えます。
でも、子どもは必ずしもそれを当然とは考えません。未熟であると自覚しながらも、成長しつつある自分の「自我」は尊重されるものと意識しています。それを図らずもおろそかに扱ってしまうと、自我を守ろうと対立の構図が出来上がってしまいます。これが長引いてくると自我が不安定になり、時には相手を見下した言い方をしてみたり、時には支離滅裂な筋の通らない事を言ってみたりと、あまり好ましくない状態にもなったりします。
この事例で「家で言うことを聞かない」の具体的な内容をいろいろお聞きしましたが、一番はやはり「勉強しなさい!」に対してのようですね。それも、「しなさい!」「やらない」「しなさい!」「あとで…」の単調なやりとりだけではないようです。このご相談もそうですが、そこには中学生お得意の「なんで?」の攻撃が挟まっています。それに対する返答に困られたことも一度や二度ではないことでしょう。
なにせ、相手は「なんで?」を連発していればいいわけです。納得のいく返答が得られるまでは、その繰り返しですみます。「なんで勉強せんといけんの?」「なんで受験せんにゃいけんの?」とそれに対して子どもを説得させようと親御さんが力めば力むほど、その論理にはほころびが生じ、子どもはいとも容易くそこをついてくるのではありませんか。そして、あたかも親御さんが軽んじられているように感じられたかもしれませんね。
無制限に質問をする権利を持つ子どもと、無条件に完璧な返答を義務づけられた大人とでは、圧倒的に立ち位置が違います。そんな状況では穏やかな会話は難しくなってくるでしょう。それに附随して、子どもがプリントを出さない・制服を脱ぎ散らかし、などといった生活面の現象がさらに怒りを増幅させ、ますます感情的な会話になってしまうといった事例も少なからず見受けられます。
子どもにしても必死なんです。自我を守るために、周りからは理解困難な言動を大まじめにやっている場合も大いにあるみたいです。きっとそこには余裕などないはずです。ひょっとしたら、知らず知らずに自分も子どものフィールドに入り込んでカリカリしてはいないか、と冷静に考えられてみてはいかがでしょうか。そして、そうであれば「なんで?」に象徴される怒り・イライラの無限ループから脱出されることがご要望を実現する早道のようなんです。
この事例とは違うケースですが、「親が何を言っても返事が返ってこない」場合があります。「ねえ、どうなの?」と聞いても、「知らん」「うるさい」と論戦を拒否し続けます。何も話しませんから、何を考えているか分からず不気味に映ります。このケースでは大抵の場合「話さない」のではなく「話せない」のだと思われます。
自分の考えを相手に伝えるトレーニングが欠けていて、本人が自分の思いを相手にうまく伝えられないと思い込んでいる節があります。先の「なんで?」の逆で、自分の意図する思いの不十分な言質を取られて、大人から追求されるのを回避するための行動であったりするわけです。ですから、子どもが無言を貫く場合は、安心して話のできる状況を用意して気長に待ってあげる必要もある場合もあります。(こじれた場合、あらぬ方向へ事が進む場合もあります。)
話を元に戻しますが、最初の「ここで何とかしてほしい」の親御さんの思いには、私たち学習塾(あるいは学校もそうでしょうが)の先生に自分の代理人を委託するという思いが含まれているように思われます。「親御さんの意図を子どもに浸透させる」代理人であることを求める場合もあるし、時には「親御さんの代わりに、子どもに役立つ意図を考えて浸透させる」代理人ということを希望されていることもあるような気がします。
いずれにしても、同じ内容の話ならば誰がどのように話しても、子どもの受け取り方は本質的には同じ、というのが現状のようです。例えば、「勉強しなければいけない理由」です。いろんな考えがある中で、それぞれのご家庭にもお考えがあることでしょう。それは、どんなお考えであっても構わないし、ご自分の子どもにお話しされるのも当然よろしいことです。ただ、それを「絶対的」な考えとして提示したしたら、中学生であれば拒絶の意思表示を示す可能性が高くなります。
子どもからすれば、どんなに無関心を装っていたとしても、誰でも自分の将来と真剣に向き合いたいという思いは心の奥深くに持っています。そして中学生の時期ならば、勉強がそれにどうやら深く関わっていそうだという認識がおぼろげながらあるものの、それを自分で判断するだけの情報を持ち合わせていません。そこにテレビなどから氾濫する情報が混ざって、いっそう判断を難しくさせている、そんな状況はないでしょうか。
当館でも、中学生で宿題忘れなどして、明らかに自分に非があると自覚しているのですが、過度にふてくされた態度で対話を拒む姿勢を示す場合がたまにあります。こんな時に追い打ちをかけるように非難するのはほとんど逆効果になります。授業が終わった後にでも別室へ呼んで穏やかに話すようにしています。それでなくても身構えがちな状況ですから、最初に「対等」であることを宣言して、できるだけ聞き役にまわります。
その方が、彼らもしゃべりながら自分の頭の整理がついてきて、こちら側の話も穏やかに聞けるようになります。この場合、意識しておかないといけないのは、彼らがそれぞれ「自我」を持った尊重されるべき存在である、ということではないかと考えています。気恥ずかしくても、時には言葉にして伝えることが、親子の関係を良くする一助となるかもしれません。