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グリーン・メイト「ことばのぎもん」から

 

私たちは日本語を使って日々生活しています。小さい頃から使っていて、小学校から国語としてずっと習ってきた言葉です。

 

自分の気持ちを伝達する手段として使われる言葉ですが、最近ではインターネットの普及などで伝達方法が多岐に分かれてきました。

 

そんな中で「その使い方って変じゃない?」と思われる言葉を平気で日常使っている場面が目につきます。ここでは不定期にこの話題を採りあげてみます。

 

 

 

■天気予報の『スーパーことわざ』

 

 気象庁が、6月5日から新しいスーパーコンピュータの運用を開始するというニュースを聞きました。一秒間に数百兆もの計算が可能で、これまで難しかった局地的大雨などの小規模の現象の予測の精度向上が期待されるそうです。
 さて、今でこそ天気予報≠ヘ簡単に得ることができますが、それがなかった頃はどうしていたのでしょうか。それを知る一つに天気のことわざ≠ェあります。
 ●朝焼けは雨、夕焼けは晴れ
 ●いわし雲・うろこ雲が出ると天気が悪くなる
 ●星がまたたくと明日は大風
 ●日がさ・月がさは雨の前兆
 ●煙がまっすぐのぼれば明日は晴れ
 ●汽笛・鐘の音が大きいと雨
 ●ネコが顔を洗うと雨
 ●クモが巣をはると晴れ
 ●カエルが鳴くと明日は雨
 ●ツバメが低く飛ぶと雨が近い
 ●ムカデが出ると雨
 このように天気予報≠ネどなかった頃は、身の回りの生き物や自然の変化から天気を予知するしかなかったのでしょう。もちろん、これらの中には科学的な根拠があるものも、ないものもあります。しかし、昔の人たちが身近な自然から経験したことが言葉となって現在にも残っているのはすばらしいと思いませんか。

 

■4年に一度の『閏年』

 

 今年は、4年に一度の夏季オリンピックの開催年。7月からイギリスのロンドンで行われます。この夏季オリンピックが開催される年は『閏年』でもあります。
 『閏年』とは、1年の日数が平年より1日多い年のことです。平年の2月は28日までですが、閏年は2月29日まであり、1年が366日になります。
 なぜこのような年があるかというと、それは地球の公転周期(太陽のまわりを1周する時間)に関係があります。地球が公転する時期は365日と5時間48分46秒です。だから、1年を365日とすると、約4分の1日ずつズレが生じてきます。そのズレを調整するために『閏日』(2月29日)の入った年が4年に1度あるのです。(閏年になるのは、西暦年数が4の倍数の年です。ただし、100で割り切れても、400で割り切れない年は平年となります。つまり、4の倍数年であっても2000年は閏年だが、1900や2100年は平年となります。
 さらに今年は『閏秒』も挿入される年にあたります。日本では、7月1日午前8時59分59秒の次に、60秒目が入った後、午前9時になります。つまり、今年は平年よりも1日と1秒多くなるのです。なんだが得な気がしませんか。

 

■木枯らしの由来

 

 今年の秋は、暖かい日と寒い日の差があまりに大きく、また変化も急で、この先気温はどうなるのかと、天気予報をチェックする機会が多かったように思います。徐々に寒くなってくれたら体も楽なのになぁ、とぼやきながら先日もテレビで天気予報を見ていると「昨日(10/26)東京では木枯らし1号≠ェ吹きました」と、気象予報士が解説していました。
 木枯らし1号≠ニいう聞き慣れない言葉に興味をひかれ調べてみると、木枯らし≠観測しているのは東京の気象庁と大阪の気象台だけで、ほかの地域の気象台では特に観測の対象にはなっていないのだそうです。
 では、どのような風を木枯らし≠ニ呼ぶのかというと、いくつかの条件があり、
  @10月半ばから11月末日までの期間で、
 A気圧配置が西高東低の日に、
 B北〜西北西の風向きで、
 C最大風速8m以上の風、
と決められているそうです。
 この風が吹き出すころ、木の葉が枯れ出すため、木枯らし≠ニ呼ばれるようになったのだとか。この風は冬の到来が近いことを知らせる風なのですね。

 

■「筋肉痛」は痛くないって!

 

 中体連も終わり、スポーツ系のクラブの中学3年生は、ほとんどが部活動から引退しました。最後の大会ということもあって、それぞれが力を出しきって頑張ったようです。その反動でか、後日疲労を訴える生徒たちもいました。
 その子たちの言葉の中に、おかしな表現がありました。それは「筋肉痛が痛い」という言葉です。何が変なのか分かりますか。筋肉の部分が痛くなるのが「筋肉痛」ですから、「筋肉の痛みが痛い」という言い方はやはりおかしいですよね。
 これなどは、言い方のおかしさが分かりやすい例ですが、なかには、そのおかしさに気づかずに、つい言ってしまっているものもあります。例えば、テレビなどでレポーターの方が何げなく使われている「被害をこうむる」という言い方です。「こうむる」は、漢字で書くと「被る」になります。ですから、前述の<痛>と同様に、「被害を被る」と<被>が重なるのはおかしいのです。「被害を受ける」または「害を被る」というのが正しい表現になります。
 ふだん違和感なく口にしたり、耳にしたりする言葉の中にも、文字(漢字)にすると変だな、というものが案外あるかもしれませんね。

 

■「嘲笑・冷笑」を買う「失笑」の使い方

 

 「失笑を買う」「嘲笑を買う」「冷笑を買う」ーこのように並べてみると、〈失笑〉も〈嘲笑〉も〈冷笑〉も同じように見えてしまいますね。ところが、某新聞に書かれていた〈失笑〉についての記事を読んで、そうではないことに気づかされました。
 〈嘲笑・冷笑〉は「ばかにして、さげすみ笑うこと」をいいます。こういう笑いはあまり招きたくないものですよね。〈失笑〉も同じようなものととらえられがちなようですが、本来は「おかしさをがまんできず、思わず吹き出して笑うこと」を表すのだそうです。前者とくらべると、笑いの質が異なるのがわかります。
 しかしながら、最近、テレビなどを視聴していると、ばかにした笑いの意味で〈失笑〉を使われている方のほうが多いような気がします。人前で話す機会の多い人は 、ことばの使い分けも気をつけないと、思わぬところで冷笑されているかもしれませんね。

 

■六月なのに『五月晴れ』 

 

 いつもの年なら、六月になると「もうすぐ梅雨入りだなあ」と思うところですが、今年は六月の暦を待たずに、予想外の早さで梅雨が先に訪れました。そのため、学校では運動会の開催などに影響が出ているようです。雨雲の広がる空を見ながら、運動会の日が梅雨の晴れ間と重なるように願っている人も少なくないでしょう。
 さて、その梅雨の晴れ間≠フ割合は、3日に1回くらいだそうです。これが数週間続くのですから、雨をうっとうしく思う人にとって、晴れた空は本当に貴重だったはず。そこで、昔の人々はその大切な晴れ空を特別に『五月(さつき)晴れ』と呼んでいたのです。
 「六月なのに五月?」と思われるかもしれませんが、これは旧暦の五月のことで、現在の六月から七月にあたります。(今年は六月二日が旧暦の五月一日になります。)ですから、『五月晴れ』は本来「梅雨の晴れ間」を指していた言葉なのです。ただ現在では、「五月の晴れ渡った空」の意味で使われることが多くなっているそうです。
 どちらで使っても間違いではないのですが、もともとは人々の喜びが込められていた言葉だということは知っておきたいと思います。


■4月8日って何の日?

 

 国家や民族を越えて信仰されている宗教を世界宗教といいます。仏教・キリスト教・イスラム教がこれにあたり、世界三大宗教とよばれています。宗教人口の割合をみると、キリスト教とイスラム教の二つで世界人口の半数以上を占めます。仏教はというと、世界人口の6パーセント未満ですが、日本の人口に対する割合で見れば、最も多く信仰されている宗教といえます。
 その日本で、ある外国人が不思議に感じたそうです。「日本人は、キリストの誕生日は祝うのに、なぜ釈迦の誕生日には無関心なの?」と。実際、子どもたちに聞いてみると、12月25日(クリスマス)がキリストの誕生日であることは知っていても、4月8日が釈迦の誕生日であることは知っていませんでした。
 しかし、キリスト教に『クリスマス(降誕祭)』があるように、仏教にも『灌仏会(かんぶつえ)』という釈迦の誕生日を祝う行事があります。広島でも、仏の教えを見学の精神とする宗門校では、4月ごろに『花まつり』という学校行事として行われています。
 苦しいとき、困ったとき(受験のとき)などには「神さま、仏さま」とおすがりする人もいるでしょうから、無関心よりも感謝の心を表せたらいいですね。

 

■「きさらぎ」の月

 

 昨年の夏は猛暑に見舞われましたが、それとバランスをとるかのように、この度の冬は寒さが厳しい。立春を迎えたとはいえ、まだまだ寒さ対策は必要です。衣服の重ね着も当分の間続きそうです。
 ところで、衣を更に着ると書いて「衣更着(きさらぎ)」。これが旧暦二月の異名「如月(きさらぎ)」の呼び方の由来であるという説があります。また、この重ね着から「十二単(じゅうにひとえ)」という日本独自の衣装が生まれたとも言われています。
 平安期の貴族の住宅は「寝殿造」と呼ばれる木造の家屋でした。そして、内と外を仕切るのは戸板や障子で、日光をさえぎってしまう壁はありませんでした。ですから、冬は風や雪が部屋の中に吹き込むような状態だったはず。防寒のために、次々と重ね着をせずにはいられませんでした。しかし、単に何枚も着込むのではなく、四季折々の草木の花や葉の色を「襲ね色目(かさねいろめ)」で表すなど、重ね着の楽しさ、美しさにも心をつかったのでしょう。
 実利だけでなく、風情をも大切にしていた日本人の感覚を現代の私たちも忘れないでいたいですね。

 

■リンカーンはアメリカンコーヒーを三杯飲む?
                 

 社会(日常生活)での漢字使用の目安として設けられた常用漢字が、29年ぶりに見直されました。これまでは、小学校で習う1006字と、中学校で習う939字の、合わせて1945字が常用漢字として定められていました。今回は、その中から5字が削除され、新たに196字が加えられ、計2136字に改められました。
 学校では、2012年度から指導が開始となります。付加された196字は、中学校の1〜3年に配当され、読みの指導が中心となる予定です。
 このような状況のためか、漢字に関する出版物やテレビ放送を目にする機会が増えたような気がします。先日もあるテレビ番組で、「ユウウツ」の「鬱」の覚え方を次のように放送していました。「リンカーンはアメリカンコーヒーを三杯飲む」{→林缶ワ※[米]コヒ三}。また、ある番組では、難しい熟語をバラバラに分解してごろ合わせ≠ナ覚える方法を紹介していました。
 これらの方法は、漢字の形を覚えるにはおもしろい方法だと思います。しかし、それだけでは漢字の意味を理解するということにはならないような気がします。漢字は一字一字がそれぞれの意味を表す表意文字であるため、なぜそのような形で表したのかという成り立ちや形の意味など、興味深い部分がたくさんあります。それらも合わせて学習すると、漢字はもっと楽しみのあるものになるのではないでしょうか。

 

■“鳥目”にならない鳥って?

 

 高校生のとき、家庭科の食物の単元で、栄養素について学習しました。どの食品にどんな栄養素が含まれていて、それが欠乏するとどうなるかなどを学びました。その中で、「ビタミンAが欠乏すると鳥目≠ニいう病気になる」と習いました。
 これは、夜になると目がよく見えなくなる夜盲症のことです。鳥も夜になると目が見えにくくなるので、この名前がつけられたと聞きました。ですから、夜行性のものを除いて、鳥は夜は飛ばないものだとずっと思っていました。
 ところが先日、夜の十一時頃、数羽のツバメが空を飛び交っているのを見て大変驚きました。「夜なのに、ツバメは目が見えるの?」と。しかし、落ち着いて周りを見回すと、その訳が見つかりました。その場所は24時間営業のスーパーマーケットの駐車場で、看板の照明と、駐車場の照明等で、その一角だけが昼間のようにとまではいかないにしても、かなりの明るさを保っていたのです。

 人間の営みが、野生動物の生態に与える影響に驚きながら、「あのツバメ達は、いつ休むのだろうか、過労死(?)しなければいいけど」とか「鳥目≠ニいう病名がつけられた意味が通じなくなる世の中がきたら怖いなぁ」と、いろいろ考えさせられた夜でした。

 

■擬態語の力

 

 六月は、漢字検定や英語検定などの各種検定が実施される月です。当館の生徒の中にも、受検の準備にいそしんでいる子たちがいます。その姿を見る度、数年前のある生徒とのやり取りが思い出されます。
 その生徒は、以前に当館である検定試験の四級を合格していました。その後、学校でさらに検定を受けるように勧められたそうで、二級を受検するつもりだと言ってきたのです。しかし、四級と二級の間には三級と準二級があったので、いきなり三段階あげての受検よりも、一段階ずつコツコツと勉強したほうが確実ではないか、と伝えました。すると、彼は「一級ずつチマチマ勉強するのは性に合わない」と言うのです。
 「段階をおって物事を行う」というのは同じでも、それを「コツコツ」と表すか「チマチマ」と表すかで、こんなにも印象が変わるのか、とその時はかなり衝撃を受けました。それと同時に、様子や状態を表す言葉(擬態語)の影響力の大きさに、改めて気づかされた出来事でした。


■『五月晴れ」って、いつの晴れ?

 

 先月は暖かくなったり、寒くなったりと、天候の変化の差が大きなひと月でした。春らしい心地良い天気だなあと感じられた日が何日あったでしょうか。それなのに、五月五日はもう立夏です。すがすがしい陽気は五月に期待しましょう。
 ところで、五月の晴天といえば『五月晴れ』という言葉を思い浮かべる方も多いでしょう。五月の雲一つないすがすがしい晴天を表すことばとしておなじみですよね。ところが、『五月晴れ』のもともとの意味は五月の晴れ渡った空を表していたわけではなかったのです。
 『五月晴れ』の五月とは、旧暦の五月のことで、現在の六月から七月にかかるひと月間にあたります。つまり、旧暦の五月はちょうど梅雨の季節だったのです。だから、梅雨のあいまの、それこそ貴重な晴れ間を、昔の人たちはわざわざ呼んでいたのです。
 もちろん、現在は五月の晴れた空の意味で使っても間違いにはならないようです。ただ、昔の人たちがこの言葉をどのような思いで口にしていたかを知ると知らないとでは、ことばに対する感じ方も変わってこないでしょうか。


■このことわざ、まちがっとるよ

 

 授業でことわざについて学習していたとき、テキストに載っていたあることわざを指して、「先生、このことわざ、まちがっとるよ」と言った生徒がいました。そのことわざとは、『渡る世間に鬼はない』でした。この子の勘違いの元はお分かりですよね。このことわざをもじって付けられた某テレビドラマの方が、この子にはあたりまえの言葉だったのです。
 これと同じような現象が起きたのが『花より団子』ということわざです。こちらもテレビドラマや映画のタイトルの方が有名になってしまって、基となったことばを知らない子供たちがかなりいました。
 ことばのもじり遊びは、作る人も、聞く人も、基になった語句を知っていなければ楽しめない、教養の必要なものです。だから、周囲の大人が「これは○○をもじっているね」と子供に話してあげると、その子の言葉の世界はもっと広がっていくかもしれません。そういう機会を与えるきっかけに、もじったタイトルがなればよいのですが…。

 

■新聞までそうなの?

 

 選抜Uを目前に控え、中学三年生は最後の追い込みにかかっています。各自が自身の進路を切り開くために必死に頑張っている姿を見ていると、みんなにうれしい知らせが届くことを願わずにはいられません。
 ところで、選抜Uに先立ち行われた選抜Tに関する内容で、以前このコーナーで書き言葉と話し言葉について述べたことがありました。そのとき、書き言葉の参考になるものの一つとして新聞の文章を挙げました。きちんとした表現の文章に少しずつでもいいから触れてほしいという思いからだったのです。ところが、その新聞で思いがけない表現を目にしてしまいました。某新聞の連載小説の中に「汚名を挽回し…」という記述があったのです。
 これって例の『汚名返上』と『名誉挽回』の混じった表現?編集のときに気づかなかったのかな。この小説が本になるときには直してあればいいけれど…などと思いめぐらしながら紙面を見つめていました。そして、今度から「新聞の表現にも間違いはあるのだから、結局頼れるのは自分自身の言語力なんだよ」と生徒に言わなければならないのかと思うと、少し気が重くなってしまいました。

 

■日常生活の中での暦

 

 一年の終わりの月になりました。新年を迎える準備など忙しい時期となります。その忙しさから十二月の異名が『師走』となったという説があります。
 昔は十二月になると、家に僧を迎えてお経をあげてもらう習慣があったそうです。師である僧は、その仏事をこなすために、あちらへこちらへとせわしなく走り回るため、「師走り月」といっていたのが「しわす」となつたといいます。これ以外にも諸説ありますが、「しわす」と聞くと、なんとなくせかされる感じがするのは気のせいでしょうか。
 ところで、昔の暦には「先勝・友引・先負・仏滅・大安・赤口」の六種の日があり、これを『六曜』と呼んでいました。今でも例えば、結婚式は「仏滅」より「大安」の日が縁起が良いという人がいます。また、「友引」の日に葬式をすると、他人の死を誘うので避けるという話も聞いたことがあるのではないでしょうか。ところが、これは仏教とは何の関係もないのだそうです。
 先日、わが家で仏事を営んだ折、その説法の中で話されたのですが、お寺の方が亡くなられたときは、友引でも普通に葬式をされるそうです。もともと「友引」というのは、相引で勝ち負けのつかないという日でした。それがいつの頃からか友を引く≠ニいう迷信がついたのだそうです。
 このように、なんとなくお世話になっている暦ですが、受験生にとってはこれから頻繁にチェックするものになっていくでしょう。「入試まであと○○日」のように…。

■どう読む?『一人前』


 宮島の紅葉も、もうすぐ見頃を迎え、秋の深まりが日毎に感じられるようになりました。秋という季節は「○○の秋」というように、様々な修飾語をつけて用いられます。
 中でも「食欲の秋」という言葉はよく耳にします。昼のテレビ番組でも料理コーナーなるものが毎日のように組み込まれています。“手軽に短時間で”というものを印象づけるためか、アシスタントに若い女性がついていることが多いようです。
 先日もある番組で若い方がお手伝いされていたのですが、材料について『ヒトリマエの分量は…』と説明されたのです。その直後にメインの司会者が『イチニンマエですね』とさりげなく言い直されたのですが、この時、私は「これは『言葉の疑問』のネタに使える」とにんまりしました。
 ところが、原稿を書くにあたり、『一人前』を調べてみると、『イチニンマエ』も『ヒトリマエ』も分量の言い方としてあることがわかりました。私はてっきりアシスタントの方が読み間違えたのだと思ってしまったのですが、『ヒトリマエ』という言い方もあったのです。最近の若者は漢字の読み方が変だという意識が自分の中で固まっていたのかもしれないと反省しました。
 ただ、その番組が最近、分量の表し方を『○人分』に替えているところをみると、私と同じように思った方が結構いたのかもしれませんね。

 

■おかしな「さ入れ」言葉

 

 夏期講習会中、中3生は記述対策として、ことばの意味や文の書き方について学習しました。その中でちょっとした議論になった表現があります。それは、次のような問題の答合わせしていたときのことでした。

 (問)次の文を、「妹」がさせられたという文に書き換えなさい。
   ・妹は母を手伝う。
      ↓
   ・
 このとき、生徒たちの答は大きく2つに割れました。
   A 妹は母に手伝わせられた。
   B 妹は母に手伝わさせられた。

 どちらの表現が正しいというと、それはAのほうです。使役の助動詞には『せる』と『られる』の2つがあります。

 否定の助動詞「ない」を付けたとき語尾が「ア段」の音になる動詞と「する」という動詞には『せる』を付け、それ以外の動詞には「させる」を付けるのが決まりです。「手伝う」は「手伝わない」というように「ア段」の音になるので「手伝わせる」が正しい表現となります。ですが、Bを書いた生徒たちによると「手伝わさせる」のほうが意味がはっきり分かるという意見が多くありました。

 さて、みなさんは次のようなおかしな表現を使って話していませんか?
    @それを見させてください。
   A弟に理由を言わさせます。
   B明日、うかがわさせていただきます。

 

■鯉のぼりの由来は?

 

 先日、中学生の授業で、鯉のぼりを詠んだ俳句を勉強しました。そのとき、生徒から「鯉のぼりはいつ頃からあったの?」という質問を受けました。それに対して「時代劇の中で鯉のぼりを見た記憶はないから明治(時代)以降じゃないかな」と、あまり根拠のない答えを返してしまいました。
 しかし、その後で調べてみると、江戸時代の中期ごろに、町人の間で鯉のぼりを戸外に立てる習慣が生まれたということが分かりました。私が思い起こしていた時代劇というのは、昔よく見ていた『水戸黄門』だったので、江戸時代前期の地方の村の背景に鯉のぼりが出てくることは当然ないわけです。
 ところで、なぜ端午の節句に“鯉”なのでしょうか。これは「黄河の竜門という急流を登った鯉は龍になる」という故事にちなみ、子どもの立身出世を願ったからといわれています。
 また、鯉のぼりの“のぼり”は「高いところへのぼること」からきていると思っている人もいましたが、正しくは「鯉幟」と表します。「幟」は細長い布の横に多くの乳(ひもを通す輪)をつけて竿につるして立てる標識のことです。武士たちは端午の節句に家紋を入れた幟や軍陣に使われた吹き流しを玄関前に立てていました。これが町人たちにも広まり、武士の幟とは違った鯉幟の登場となります。それが明治時代以降に大型化し、今日のような鯉幟になったということです。
 最近は、さまざまな事情から“屋根より高い鯉のぼり”を町の中で見ることは少なくなってきましたが、それでも風をうけて泳ぐ鯉を見かけると、元気な男の子の姿が想像されて、ほのぼのした気分になります。生徒のみなさんも、元気いっぱいに連休を過ごして下さい。 

 

■漢字で書くとわかる ?


 先日、授業で俳句について学習したときのことです。俳句と言えば、季語がよく問題となるのですが、そのときもやはり『ツバキ』はどの季節の季語かが問われていました。
 『ツバキ』の花は、茶席などでよく生けたり、和菓子の意匠としたり、また種子からとった油を髪にぬったりと昔から生活に身近なものでした。しかし、現代の子どもから見ると、「どんな花かは何となくわかるけれど、いつ頃咲くかは知らない」花となってしまったようです。そうなってくると、『ツバキ』の季節を問われても、答えられないのは当然でしょう。
 ところが、『ツバキ』を漢字で書くと、花を知らない子どもでも、ほとんどが「ツバキは春の花だ。」とわかるのです。なぜなら、『ツバキ』という漢字は、木へんに春(椿)と書いて表すからです。
 漢字は、一字で音と意味を表す表意文字なので、その漢字の成り立ちなどがわかると、もっと漢字への関心が深まるのではないでしょうか。
 ちなみに、夏の木(榎)で「えのき」、秋の木(楸)で「ひさぎ」、冬の木(柊)で「ひいらぎ」を表します。では、次の漢字は何を表す字でしょう。
 「椛」「?(←木へんに色/変換不可なので)
 二つとも同じ意味です。ヒントは広島の名物(?)

 

■敬語を使ってはいるんだけど…


 昨年来、漢字や敬語法など、日本語への関心が深まっています。もちろん、これは好ましいことなのですが、その原因が「間違える人が多いから」というのは、何とも複雑な心境にさせられます。先日もあるテレビ番組で、首をかしげたくなる場面を見ました。それは、俳優のNさんがアフリカ大陸を旅する特別番組を紹介しているコーナーでのことでした。
 若い女性タレントさんが、Nさんにインタビューをしていました。いくつ目かの質問の中で、女性の「(Nさんは)オランウータンにお会いになられたそうですが、…」という言葉に、Nさんが苦笑しながら「『お会いになられる』かよ」とつっこむ場面がありました。おそらく、Nさんに対して敬語を使わなくてはいけないと、この女性は一生懸命に話したのだと思います。けれども、『お〜になる』と『れる』の二重敬語である上に、「オランウータンにお会いになる」はNさんに失礼です。がっくりしたNさんの気持ちはよく分かります。
  しかし、この映像を見ていて私が驚いたのは、相手を軽視する発言をしたことに、この女性が最後まで気づいていなかったこと、そして、まわりのスタッフが何の訂正コメントもしなかったことです。
 言葉は、実用のものですから、どんどん使うことで上達していきます。ですから、使い慣れないうちは失敗することもあります。そんなとき、周囲の大人が間違いを指摘してあげたり、正しい手本を聞かせてあげたりすることが大切なのではでしょうか。正しい日本語が話せない子どもが多いのは、正しい日本語を話し聞かせていない大人にも原因があるのではないかと、テレビを見ながら思いました。

 

■「変くない?」って変でない?

 

 中学生のみなさんは、期末テストがようやく終わり、この後に続く、冬休み・クリスマス・お正月という楽しみ事にワクワクしている人もいるでしょう。テスト期間中は、学校終了後に青葉へやってきて、ここで夕食をとりながら、遅くまで勉強を頑張った人も多くいました。分からないところを説明しあったり、質問に来たり、それぞれが自分の課題に真剣に取り組んでいました。
 さて、その勉強の場面で、妙に気になる言葉を何度が耳にしました。それは「ねえ、これ何か変くない?」または「違(う)くない?」という言葉です。「変くない」も「違(う)くない」も、文法的にみると誤りです。『変だ』は形容動詞、『違う』は動詞です。どちらも活用はしますが、「変く」や「違く」という活用形はありません。『ない』に接続する場合の正しい形は「変でない」「違わない」です。
 では、なぜあのような言い方がされるようになったのでしょうか。「〜くない」形になるのは、形容詞に『ない』が接続する場合があります。例えば「ひどい→ひどくない」「やばい→やばくない」などの形です。この流れで本来はなかった「変くない」や「違(う)くない」などの言い方が、子供たちの間で新しく生まれたようです。
 話し言葉としては、一応言いたいことは相手につたわります。しかし、文法的には絶対成り立たない言葉なのです。この言い方に慣れてしまった人は、中学2年での『活用する言葉の学習』に入ったとき、混乱する可能性が大きくなると思われます。注意して下さい。


■「ジュッカイ」でもいいの?

 

 公文書や一般社会生活での漢字使用の目安として定められたものを「常用漢字」といいます。みなさんが社会人になった時、日常生活にどうしてもこれだけは必要だとされる漢字です。「常用漢字」は全部で1945字あり、そのうち小学校で習うのが1006字、中学校で習うのが939字となっています。現在、この「常用漢字表」の改定作業が行われているそうです。
 まず、音訓読みでは34字について新たな読みが追加されます。たとえば、「十」の音読み「ジッの備考欄に『「ジュッ」とも』と注記されるようです。これまで「十回」は「ジッカイ」と読んでいましたが、「ジュッカイ」でもよいということになりそうです。
 また、「私」についても、現行表の訓読み「わたくし」に、新たに「わたし」の読み方が加わります。当館でも生徒の約80%が「わたくし」でなく「わたし」と読んでいるので、こちらの方が広く使用されているのでしょう。もともと漢字の読み(主に訓読み)は、日本人が使っていることばを、似た意味を持つ漢字に当てたものです。だから、ことばが変われば、漢字の読み方も合わせて変わっていくのは当然のことなのでしょう。
  なお、新たに常用漢字として追加される漢字は191字あるそうです。これらの漢字は、2011年度(小学校)2012年度(中学校)からの新学習指導要領の改訂に合わせて、教科書にも記載される見通しだそうです。

 

■月の名の由来は?

 

 長かった夏休みも、とうとう終わってしまいました。カレンダーも九月に変わり、2学期がスタートします。なか

 

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