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ある少年の残したメッセージから

グリーン・メイト「巻末雑感」−バックナンバー・セレクション−

 

「巻末雑感」の以前のものから、今でも読んでいただけそうなものを、いくつか選んで載せてみました。

 

 

 

  2008年以前
 

■消えかけの魔法の食卓

 

 その食卓に座ると、目の前においしいごちそうが現れます。食べ終われば、また別のごちそうが出てくるので、そこに座った人は何人分でもごちそうを食べ続けていきます。
 この魔法の食卓、ごくわずかな人しか座ることができません。他の人たちが食べたいと言えば断られます。「これは、あなたたちに役立つための、私たちの大切な力の源です。」「公平にあなたたち全員には分け与えられません。」こんな理由から、限られた人が占有しています。
 突然、この食卓の魔法の力が薄れてきました。ごちそうの量が減ってきました。次のごちそうがなかなか出てきません。貯蔵庫を開けると、食材がからっぽになりかけています。おいしいものをお腹いっぱい食べることに慣れてしまった彼らは我慢することができません。もう一度魔法を取り戻そうと懸命になっています。
 実はこの魔法の食卓、一食現れる度に世界中のどこかで食卓から一食ずつ消えていっていました。1%の人がすべての資産の半分を持ち、半分の人が1%しか持てない、この地球上のある国の出来事です。そして、多くの人が気づき始めました。「これって、なんか変だぞ」と。
 入試の時期が近づいてきて、受験生も真剣になってきました。希望する進路をサポートし、学力をつけていくことが当館の本分です。これからも、みなさまのために力を入れていきます。

08.10

 

■加法混色 〜光の3原色〜

 

 光の3原色である赤・緑・青を同時に照らすと、白というか無色になります。無色とは「色が無くなる」のかと思えばそうではないようです。あらゆる波長の光の情報が合成されており、人の目は複雑な情報として処理しているようです。異なった波長の光を加えていくと無色に近づいていき、加法混色と呼ばれます。
 一方、色の3原色の赤・黄・青は全部混ぜると黒になります。プリンターなどで作った印刷物は、紙にあたった光が反射して色の刺激として目に入ります。いわば反射させる光のブロックの加減で異なる色を識別します。そして、反射する情報をどんどん取り除いていくと黒になり、減法混色と呼ばれます。
 現在、当館にも入試真っ直中の生徒たちがいます。心境を察すれば、不安であったり折れそうな心なのかもしれません。それでも、彼らは光を出し続けています。みんな異なる光を外へ放射していますが、混ざると明るくなります。決して暗い闇にはなりません。
 彼らの波長は他の学年にも伝わります。みながそれぞれ固有の発光をすれば、あたりが明るくなることを実感しているようです。そんな当館の生徒たちを「光の子」とでも呼びたいような気がします。少しこじつけっぽいですね…
 寒いのはあともう少しです。みんなに暖かい春が訪れることを望むばかりです。

08.02 

 

(ニワトリ)が極めると…?

 

 古典に出てくるお話です。昔、中国に闘鶏(とうけい)を育てる名人がいました。王様から命ぜられて一羽の鶏を訓練します。それから10日経つごとに王様は鶏の様子を名人に聞いてきます。名人は王様に今の段階を答えていきます。
 第一段階では「まだです。今は空威張りの最中でいきりたっています。」と。第二段階では「よその鶏を見ると、興奮するからだめです。」と断ります。第三段階では「まだです。よその鶏を見ると、いきり立って睨みつけ闘争心むき出しです。」と。そして最終段階になると「そろそろいいでしょう。そばでよその鶏が騒いでも平然としているになりました。まるで木彫りの鶏のようです。その徳は完全でどんな鶏もかかっていくことはできないでしょう。闘う前から逃げて帰ってしまいます。」と名人が答えます。「荘子」の中の「木鶏(もっけい)」の話です。
 最強を極めるとは、闘志をメラメラと全面に出すことかと思えば、反対に闘志を感じさせない、むしろ闘いすら意識しない無の状態に身を置くことのようです。自分の存在を意識しないほど、その存在からオーラが発せられるは何と奥の深いことでしょう。確かに第四段階の存在には滅多にお目にかかれませんね。
 ところで、最近は自分も木鶏と同じ状態です。とは言っても、夏バテ電池切れ状態で動けないだけのことです。極める道のりは遠いようです。

07.08

 

■ジャンク(がらくた)

 

 ヒトの脳は全体の数%しか使われていないと言われます。その理由は解明されていません。それに脳細胞(ニューロン)の数もほとんど増えることがありませんがその理由も説明できません。最新の科学は、意外と最先端ではないようです。

 また遺伝子の研究では、DNAの中でタンパク質合成というヒトの体を作ることに関わる、やはり数%の領域(エクソン)の解明が進んでいるものの、残りの領域ではいったい何の役割をしているのか分からない部分がほとんどを占めているようです。この9割以上の役割不明の部分は「ジャンクDNA」と呼ばれています。

 パソコンや自動車などが9割以上使い方不明だと大変です。「このボタンは何ですか?」「さあ…」「じゃあ、このスイッチを押すと?」「うーん、分かりません」これじゃ誰も使わないでしょう。でも、このボタンやスイッチには本当に何の機能も備わっていないのでしょうか。

 ある研究者がジャンクDNAのことを「差し当たっては使わないかもしれないが、いつか使う日が来ることはわかっている」と表現しているのを見つけました。そう、知らないだけで存在理由はちゃんとあるに違いありません。

 学習の分野でも、説明がつかないために「ジャンク扱い」しているものがあるように思われます。決して分かったふりなどせず、謙虚に学んでいこうと考えています。

07.08

 

■志は高いのに…

 

 入試のシーズンに突入しています。面接を科せられる生徒のためにリハーサルをすると、必ず環境問題に触れることになります。それで思い出したことがあります。
 もう10年近くも前のことです。当時もすでに環境問題は話題になっていましたが、今ほどではありません。そんな中、市民レベルでできることを始めていこうとする活動が広島地区でありました。
 代表的なメンバーが集まって今後のことを話し合いました。だんだんと話が白熱していきます。その時の話題は何だったと思われますか?それは、団体名の頭に「ひろしま」とつけるか、「ヒロシマ」とつけるかだったのです。親しみ易さの「ひろしま」か、国際性の「ヒロシマ」か、ということになりますが、その議論だけで険悪な雰囲気が立ちこめてきました。
 地球の将来を考え、子供たちの未来を考えるすばらしい人たちなのに、悪意なき「持論は譲らない」というスタンスがその場の調和を崩してしまいました。今はその団体はどちらの「広島」も使わない名前になっています。
 志の高い方たちが、些細なことで穏やかさを損なうのは快いものではありません。教育の分野でも残念ながら同じようなことが現存するようです。本来、日本人の持つ「和の気持ち」が損なわれないように、と思う次第です。

07.02

 

■「つながっている」ということ

 

 昨年の漢字にも選ばれた「命」について認識させられる出来事は「事件」という形で、人々の間に浸透していきました。その都度「命の尊厳」を唱えるコメントが多方面から出されて来ましたが、それでも事件は後を絶ちません。
 「命」の単語は浸透しても、その尊厳はなかなか浸透していないように見えます。それは命の所有者である自分が尊ばれている実感があまりわかないからでしょうか?それとも実感はあるものの、それを覆い尽くすには十分なコマーシャルベースの中で快楽と引き替えに感覚をマヒさせたからでょうか?(難しい表現で、ごめんなさい。)
 本当は若い人たちは深い解答を得たがっているように思われます。他と境界線を引いて、少しでも自分の立ち位置を有利にすることの情報に囲まれて、心の中で悲鳴を上げているようです。解答を提供する側もそのほとんどは見識が浅く、本質の表面だけに触れているように感じられます。だんだんと時代は、本質に触れない方が非現実的対応になってきたようです。
 右手と左手がどちらが強いか競えば、どちらかの手が傷つきます。結局その手の持ち主が怪我をしたことになります。「つながっている」という見方です。もうあまり書けませんが、みんなが手をつないだ方が居心地の良い世の中になりそうです。今年もよろしくお願い致します。

07.01

 

■当たり前のこと

 

 最近知ったことです。農作物に使用される農薬の使用回数のデータを目にしました。九州のある県の公式データなのですが、そこにはトマト61回ナス60回、ピーマン42回…という数値が並んでいます。(専門的な見方があるようですが、ここでは数値だけあげます。) 農の素人の感想とすれば、多いな…」と感じます。
 2頁の「教育ニュース」にもあるように、現行の教育の有り様を懸念する記事が多数あります。他にも、計算はできても「6リットルは何リットルの1.2倍か」が答えられない小学生の活用能力低下を紹介した記事などもあります。もし、「面倒なとは教えない」「出るところだけやる」「それでも効率よく得点を取る」などの視点を伝える環境があるならば、教育にも「農薬漬け」の状況を作るのは容易と思われます。そこからは「自ら考える」という発想は生まれにくいかもしれません。
 各高校を訪問させて頂くと、今年になってよく聞くようになったフレーズかあります。それは「当たり前のことが当たり前にできる」ということです。「一人で起きられる」「朝ごはんをちゃんと食べる」「あいさつをきちんとする」、こうした生徒像を各校は求め始めているようです。深く読めば、それは各生徒に今不足しているもの、と思われるのでしょう。
 物思う秋に難解な記述、ご容赦下さい。

06.10

 

■人の関心

 

 私たちも時折検定試験に挑戦します。最初に受けた漢字検定3級に挑戦して以来、いくつかの合格を手にしましたが、大人になってもやはり嬉しいものです。残念ながら周りの人はあまり喜んではくれません。「先生なんだから…」と思われているのでしょう。ちょっと寂しいです。

 勉強が本業の生徒さんは、テストでいい点を取ると、やはり嬉しいことでしょう。それを、「今日テストで90点だったよ!」「ふーん、良かったね。」で終わると、やはり寂しいことでしょう。もっと聞いてほしいものです。
 人は相手に対して、相手が思っている百分の一程度しか相手のことに関心を持っていない、と言われます。大半の関心は自分のことが占めていて、それどころじゃないのです。
 この前提に立てば二つのことが分かります。一つは、良い話で関心が薄いなら、悪い話だって真剣には受け止めていないかもしれません。「何か言われているんじゃないかな?」などと陰口を恐れる心配はあまり必要なさそうです。
 二つには、百分の一の関心からは期待の百分の一しか返ってこない、ということです。百の分母に対して、過剰な期待を求めて分子を上げる努力は疲れそうですし、かと言って「人の話は聞かない」とは違うことです。

 その不足を補うのには、自分の中の強い思いの時々の点火が必要かなと思った次第です。

06.06

 

■地球ゴマ

 

 最近あまり見られなくなった地球ゴマというおもちゃがあります。このコマは一度回転をはじめると回っている間はその姿勢を保とうとします。たとえそれが斜めであっても、ずっと斜めのままで回り続けます。

 ジャイロ効果と呼ばれるこの性質はいろいろなところで利用されています。例えば船の中でコマを回せば、海が荒れても船体は大きく揺れません。人工衛星の中で回せば、ずっと同じ姿勢です。ハイテク満載の航空機内でも羅針盤として使われています。そして何より地球そのものが地球ゴマとして自転を続けています。

 一見止まっているかのように見える、その姿勢を保つために常にコマは回り続けています。しかしその回転運動すら遠目には静止しているように見えてしまい目立ちません。意識しなければ、何事も起こっていないと感じるかも知れません。そして知らなければその存在が「無駄」に見えているかも知れません。

 地球は等速で自転をしていますから、地軸が安定しています。常に一定の角度が保たれています。その日の気分で速くなったり遅くなったりということはありません。それは地表で何が起こっていてもです。ただ静かに回っています。私たちの身近にある「地球ゴマ」を見落とさないようにと思った次第です。

06.02

 

■敵と味方

 

 どんよりと気が重くなることの多い世の中のようです。疑惑、不正、誘拐、テロ…と目に触れたくない文字を目にしない日はありません。それは決して遠い世界の出来事ではなく、身近でも起こり得る現状が、より現実味を持たせます。
 それらに真っ向から意見する方がいらっしゃいます。小気味よい口調でバッサリと斬って捨てる様には支持する人も少なくありません。この方たちの通りにすれば、世の中少しは良くなりそうなものの、そういった気配もあまり見られません。「何故?」と問いたくもなりますがありきたりのご返答も要らない気がします。
 人は自分の中にイヤな所を見つけると、外へ押し出そうとします。心理学でシャドウというそうです。他の人に映し出されたシャドウは徹底的に叩かれますが消滅はしません。シャドウは別の人に移されて、また新たな「シャドウ叩き」が始まります。それに影ですから痛みはありません。本体は別の所で温存されています。
 ひょっとすると、自ら生み出したシャドウを「敵」と見なした人は、結局自らを「敵」としてしまっている可能性があります。「敵を作らない」という姿勢の人は、一見消極的で目立ちません。その中には尊敬できる方が多くいらっしゃいます。こういう方が増えていくと、良い世の中になるような気がします。
 来年が皆さまに良い年となるよう望みます。

05.12

 

■反転攻勢

 

 ずーっと前の昔の話です。学生の頃、学内で各サークルの代表者が集まる会議がありました。それがとても重苦しい会議だったのです。
 テーマは新しくできる施設をどう振り分けて使うかということで、会議の流れから大半の小規模サークルはほとんど利用できそうになく、一部の有力なサークルがほぼ独占的に利用する方向へ動いていました。主催者は有力サークルが所属する団体の学生で、当然のように小規模サークルに、この流れへ同意を求めてきます。
 まるで、どこかで聞いたようなお話ですが、その時小サークルの出席者は、やはりあきらめムードを漂わせていました。まさにヘビに睨まれたカエルのようで何も言えません。
 その時です。「ちょっと待って下さい。」という声が聞こえました。声の主はある小サークルの人です。彼は次のようなことを言いました。「この会議では各サークルが対等のはず。まして決議権のないこの会議で、決定事項のように扱うのはどういうことか?」…と。主催者は思わぬ反論に返答もしどろもどろとなり総崩れとなっていきました。結果、数度の会議を経て公平な利用が決められていくことになります。まさに胸の透く思いの反転攻勢でした。よく考えれば彼は当たり前のことを言っただけなのです。 めったに見られなくなったこのような光景に久しぶりに出くわしました。心は爽やかです。

05.10


■心臓の言い分

 

 車の中で流れるラジオから、思わず聞き入ってしまう番組がありました。それは心臓が自分の立場を語るというものでした。
 心臓は語っていきます。自分には休暇がない。休憩すらない。ものの5分さえも休むことが許されない。胃や肝臓など他の臓器は結構休んでいるのに自分にだけ休みがないのは不公平だ。さらに、自分の仕事には正確さを要求される。早すぎてもいけないし、遅すぎてもいけない。常に神経を使って仕事をしているのに何ら感謝もされず、特別に手当が出るわけでもない、と。
 あまりに真剣なその口調がかえって面白くて引き込まれながら聞いていました。人体の中枢である心臓が本当にこんな思いを持っているなら、他の臓器だって語れば不平不満が続出するのではないかと思ってしまいます。こうした斬新な切り口には時折ハッとさせられます。
 ふと思うのは、臓器の持ち主である人間が、体内に不平・不満を抱えていて健康体でいられるか?ということです。そういえば確かに「疲れた」という言葉が身近な周りで頻繁に聞かれます。正常を維持するためには、できるだけ体内器官の機嫌を損ねないようにして、そして自らも不平不満を口にしないのが良いのではないかと考えた次第です。
 猛暑の真っ直中です。お体を大事にしてお過ごし下さい。

05.08


■捨てたものじゃない

 

 理科の問題です。もし太陽が消滅したら、人類は何日生き延びられるでしょうか?…正解は3日です。植物の光合成が止まり、酸素が作られなくなると呼吸ができなくなります。
それが3日です。
 ところがこれはテストでは○でも、実際には×です。それは即刻全滅する可能性が高いようだからです。その理由は「体内時計」にあります。以前にもご紹介したこの体内時計の動力源は太陽です。動力源を切られれば即刻アウトというのも納得できます。
 最新医学が突き詰めたこの説を、2000年前のご先祖たちはすでに知っていたようです。生命は太陽の日が本となることから、「日本」という国名がついたそうです。ちょっとうれしくなります。
 先日、お店のレジでちょっと厳つそうに見える子に順番を譲ってもらいました。捨てたものじゃありません。歩いていると、見ず知らずのおばさんに「お帰りなさい」と声をかけられました。捨てたものじゃありません。
 かつてアインシュタインやシーボルトが褒め称えた日本を、やがて子どもたちがささえていくことになります。貶めあうようなことはしないほうがいいような気がします。毎日元気いっぱいに通ってこられる子どもたちを見て、「将来は任した」と託す思いの近頃です。

05.06

 

■意外な挨拶(あいさつ)の語源

 

 子どもたちの挨拶ができない風潮がしばしば話題に取り上げられます。たしかに言葉は交わした方がお互い気持ちがいいですし、自分自身でも実践するよう意識づけています。
 ところで、この「挨拶」の言葉は仏教を起源としているようです。禅宗で問答を交わして相手の悟りの深浅を試みることを「一挨一拶(いちあいいつさつ)」と言い、ここから一般に問答や返答などの言葉を挨拶と言うようになったそうです。
 さらに、一文字ずつ見ますと、「挨」にも「拶」にも「迫る」「押し合う」の意味を持ち、僧侶が互いに意見交換をしたり、問いかけをしたりして、相手がどの程度悟りの境地まで近づいたかを探り合う行為が「挨拶」ということになります。意外な語源にビックリです。
 悪意に解釈して、双方が探り合う意が挨拶にあるのなら、あまり心地良さそうにありません。日本人に合っているのかな、とも思いますし、ひょっとしたら、子どもたちは語源を薄々察しているのでは?と邪推したりします。
 アフリカでは多くの言語で挨拶の語源は「私はあなたを見ている」だそうです。「あなたは一人ではないよ」という意味で、これは心地良さそうです。
 いずれにしても、解釈は専門家に任せて、日常の場面では、相手を思いやるお互いが心地よい言葉を交わしたいものです。

04.10

 

■無尽蔵

 

 「あれができていない!」「これも残っている!」こんな状態が続くと気持ちにゆとりがなくなり顔の表情からもゆとりが消え、人相が悪くなります。さらに発する言葉からもイライラが伝わっていくこととなります。
 さりとて、目の前のことを片づけないわけにもいかないので、気持ちを奮い立たせて一気に仕上げていこうとしますが、長続きさせるのもこれまた困難です。あたかも乾電池が切れかかった状態で電気をつけているようで、いったん途切れますと、使い果たした乾電池のように、疲労などで「空っぽ」の感覚を味わいます
 ところが、一線で活躍されていらっしゃる方の中には、どんなに多忙にされていても疲れを感じないという方が存在します。私など及びもしないハードなスケジュールをこなされながら疲れ知らずとは一体どうなっているのでしょうか。
 巨大な電池を体内に内蔵されているのかと言ば、そうではないようです。それは必要なエネルギーは必要な時に外から取り込んで、また外に出していく、という感覚なのだそうです。これなら無尽蔵のエネルギーで疲れることはなさそうです。この極意が身につけられたらいいですね。
 心なしか、この文は疲れ知らずで仕上げられたようです。酷暑の折、お身体ご自愛下さい。

04.08

 

■インディゴチルドレン

 

 下記の箇条文をご覧下さい。
 ○学校や日常に必要なものをよくなくす。
 ○話しかけられても、耳を傾けない。
 ○過度のおしゃべりを続ける。・順番を待つのが困難だ。
 ○よく他の人の話をさえぎったり、会話に割り込む。
 ○出し抜けに、早まった答えを言う。……
 これらは「最近の児童・生徒たちの特徴」とタイトルをつけても納得していただけそうな気がしますが、そうではありません。これらは、ADD(注意欠陥障害)・ADHD(注意欠陥多動性障害)の診断のための項目の一部です。こうした症状の子どもは、国内いたるところで見受けられ、教育現場では歓迎されていないのは周知の通りでしょう。
 ところが、上記の「症例」を全く違った視点で捉える言葉ががありました。「インディゴチルドレン」がそれです。彼らはこれまでの社会の体制や常識には適応せず、生まれもって備わった鋭い感性と深い智恵で新しい時代を担おうとします。そのために生まれてきた子どもたち、と捉えると既存の理解はみな覆されてしまいます。
 仮にこのインディゴの仮説に立つとすれば、批判的な教育の実状の受け入れ方が一変するような気がしますし、なにより重たい気持ちが少し軽くなります。そして、「新しい時代を担うために生まれてきた」という部分はこのような仮説に立たずとも、当館がずっと子供たち伝えていきたいことです。
 外は青葉の季節です。よろしくお願い致します。

04.05

クョスコニョ    [1] 
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