「私があなたの車へ接触しました。」こう書かれた貼り紙が車に貼られ、ご連絡先の住所も書かれてありました。3月のある日のことでした。連絡をしてお越しになられたのは初老の紳士で、品格を感じる方でした。接触時の状況を説明なさり、今後の対応についても誠実なご返答をなさって下さいました。
それに対して私は「よく正直におっしゃって下さいました。」と申し上げるしかありません。相手の方の誠意を、素直にありがたく思いました。それに対して相手の方も正直な気持ちを話されました。「本当は黙っていようかとも考えました。」と。そうかも知れません。場合によっては相手が弱みにつけ込んでくる人物かもしれません。正直なお気持ちでしょう。それすらも話されて誠実な対応をされたことに、かえってこの方には感謝を超えて心を動かされました。
話が変わりますが、自分はどうやら普段は感情をあまり表に出していないようです。本当は「出していない」と言うより「出すのが下手」という方が適切なのでしょうが、たとえば泣き顔などでも人に見せた記憶があまりありません。心が相当揺れ動いていてもです。(もっとも今後は加齢とともに、涙腺が私の意に反する行動を取ってくるかもしれませんが…)そのため最初の印象は、よく言うと「落ち着いている」、悪く言うと「冷静を装っている」ように見られているのかなとも思います。
ところが最近のことです。人がいる前で泣いている自分を体験したのは…。目の前にはお仲間の先生がいらっしゃるのに、その前でポロポロと涙を流している自分がいました。もちろんこれは涙腺に原因があるわけではありません。あることで温かい振る舞いをしていただいたその先生方に対して心が動いたのです。どんな風に心が動いたのかなどと説明のつけようがありません。「思わず」心が動いて気がつけば涙が出ていました。その状況は自分でも驚きだったのですが、かといって「恥ずかしい」という思いはなく、むしろ「すがすがしい」という思いを感じた瞬間でした。
心が動く瞬間を身を持って体験しました。それは決してきれいな言葉や、理路整然と説かれる理屈で感じるものではないようです。むしろ何も着飾らない相手の方の心を感じ取ればこちらも心が動きます。それに何の見返りもないのに、必要となれば動いてくれるお仲間がいて心が動かないはずがありません。そんな「財産」は遠くにではなく身近に存在していました。ごらんのみなさま方も、きっと素晴らしい「財産」を持っていらっしゃることでしょう。
それにしても、車に貼り紙をつけたまま1日近く気づかなかった間抜けぶりには、我ながらあきれたものです。
(07.5.2)