「ギブ・アンド・テイク」という言葉があります。優しく言い換えれば「差し上げて、そしていただいて」と、お互いの助け合いを言い表していると理解することができます。一方、少し斜めな見方をすれば「提供したものに対しては、同等の対価をきっちりといただきます」とビジネスライクな表現で解釈することもできます。
後者の立場に立てば、思考の中心にやってくるのは「損得」です。ギブ・アンド・テイクを通して損をすることは考えたくありません。少しでも自分の立ち位置を有利にしたいと考えます。できるだけ自分に「得」を寄せ集めるための活動が活発になされます。そうなると「ギブ・アンド・テイク」から「テイク・アンド・テイク」へ移行できることが理想の最終形態ということになるでしょう。
「損得」という考え方は「比較」が下地にあって成り立ちます。損をする人の存在を前提にするから、得をする人は存在が可能となります。そして比較は相対的なものですから流動的でもあります。自分の立ち位置の変動がだんだんと気になってきます。気になるというより不安になってくるといった方が適切かも知れません。こうして損得から発生した思考は自らをいかに「セーフティーゾーン」に安定させるかということにエネルギーを注ぐことになってきます。
ここまでの話はあくまでも一般論なのですが、どうもこれは教育に関わる者にも当てはまるのではないかと思います。いろいろな場面で改革を唱えるメッセージが発せられます。心地よく耳に入ってくる流麗な言葉で、あるいはインパクトのある言葉でこれらは届けられますが、受け取る側で共鳴しない言葉も少なくありません。その場合は、相手が「セーフティーゾーン」から発信していると感じられる場合が多いようです。
ところが相手が「セーフティーゾーン」を放棄する場面に出くわしたらどうでしょう?そこで、その方の教育への思いが発信されたとしたら、受け取り方はちょっと変わってきます。それは教育者として好ましくない「ギブ」を放棄することで、これまでそれを当てにしてきた人からの「テイク」がなくなることも意味します。損得で言えば明らかに「損」の選択の決意表明です。これは教育に限らずどの業界でも現在滅多に見られなくなっている光景ではないかと思います。(この部分は、最近ある学校説明会で実際にあったことをもとにして書いています。)
上記の「損」の選択に対して反応は分かれることでしょう。「まあ、確かに教育上良くないかもしれないから仕方ないかな…」であったり、あるいは「少し目をつぶればこれまで通りにいけたのに…」など様々でしょう。また、この場面に居合わせたお仲間の先生(とは言っても私の師匠格の方ですが)は、「これまでにたまった膿が出はじめているのかも知れませんね。」と言われました。思わず納得です。学習塾界の中でも、そろそろたまった膿をはき出すべき時、と思えることも少なくないのです。
「テイク・アンド・テイク」の対極にあるのは「ギブ・アンド・ギブ」です。「差し上げて、そして差し上げて」ですから「テイク」の使い手からすれば、「お人好しね」と映るのかもしれません。その一方で「得」から縁遠いはずの「ギブ」へ「テイク」からの「移籍希望」を、今回の事例のみならず見かけるようにもなってきました。できる限り損得に意識を向けなくても成り立つ教育の世界が出来上がることを望む次第です。
(07.6.25)