今回も医療関係の話から入ります。前回のパンダさんのお話を紹介されたサイトをのぞくと、こんな単語が出てきます。それは「モンスターペイシェント」。そのまま訳せば「怪物のような患者さん」ということになりますが、一体どんな患者さんなのだろうと、いくつかのサイトをのぞいてみました。
まあ、知らないことがいろいろ出てきます。そこにあげられている実例は一見苦情の紹介とも受け止められます。病院の待合室で待ち時間の長いことにいら立つ患者さん。病状の説明を、時間をかけて説明してくれないことに不満を感じる家族の方。分野の違う人間から見れば「まあ、人の自然な感情からすれば、そういうこともあるかもしれないな。」と受け入れてしまいます。それに、人との関係ならば対応のしかたや言葉のかけ方一つで変わることも少なからずあるでしょうから、解決は決して困難ではないように思えるのです。
しかし、医療の分野の方たちが取り上げられているのは、どうもそんな話とはちょっと違っているようです。それは起こった出来事とその背景のつながりが、どうもはっきりしないことのようなのです。因果律がつかめません。行動が引き起こす結果の予測がつきません。こうした不確定な要素を相当に意識させられる行動が少なからず至る所で起こっているようです。
門外漢の人間が申し上げるのは気がひけるのですが、通常の感覚では理解しがたい出来事が日々発生しているのでしょう。先の順番待ちにイライラすることまでは理解できても、大声を上げて暴れ回られるとしたら理解の範囲を超えてしまいます。日中は人が多いから待つのはいやだと思われるのはその通りでしょうが、だからといって深夜に診察を要求するとなるとちょっと困りものです。
決して多用することは望ましい言葉ではないのでしょうが、単なる「クレーマー」という言葉では片づけられないようないろいろな実例があるようです。ここで取り上げるのは控えた方がいいと思われる、もっと深刻な事態もいろいろなサイトからうかがうことができます。苦情には必ず背景があるでしょうから、全てを否定的に捉えることは偏向的な見方となってしまうでしょう。その視点に立っても、言動がどうしても理不尽で不可解に思える人たちのことを「モンスターペイシェント」と呼んでいると理解します。
こうした言動を詳細に分析することは必要なことかもしれませんし、現実的な対応(訴訟…)に迫られる場面も少なからずあることでしょう。その分だけ「○○が悪い!」など、不確かな見識で断定することは慎んだ方がいいでしょうし、解決につながる最短の方法ではないと思われます。どうやら事態は思っているほど浅い問題ではないのかもしれません。
それに、これは広く見渡せば医療分野だけのお話ではないことでしょう。教育の分野でも「モンスターペアレント」という言葉があります。ここにきて急速に広まってきた言葉です。一般的に市民に広まりやすい分野では「モンスター」の発生が広く報道されます。この言葉の普及を意図すれば、他の分野でもモンスターシリーズは多用されていくことになるかもしれません。名前のイメージが先行することのないように、今そこで起こっていることを正しく理解していくことが必要に思われます。
教育の分野でも、深刻な事例を耳にすれば重たい気分になります。ホッとする気持ちからは遠いところにいるようです。教育をめぐって人々が相手方との感情的なつながりをあまり当てにしていないで、むしろ感情が交わらないほうが望ましいと思ってとられる行動が現実にあるとするならば(あるから報道されるのでしょうけれど…)、発した方も受け止める側もだんだんと温もりを失っていくような気がします。
忘れてはいけないのは、そこで一番影響を受けているのは将来を担うはずの子どもたち、ということでしょう。
(07.9.21)