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ちょっと休憩室で…

 

 

ホームページを気を入れて作ってみると、「こんなにエネルギーを使うものか」と実感しました。ささやかなサイトに過ぎないのですが、それでもです。

このページは、特にテーマを設けず、その時々のことをちょっと息を抜いて書き込ませていただく、という制作者が休憩させていただく勝手なページです。申し訳ありません。

 

 

 

「ちょっと休憩室で…」トップへ 

 

   その人がいるだけで…
 

何だかラブソングのタイトルにでもなりそうですが、そうではありません。それに気恥ずかしくてそんなもの書けるはずがありません。ここに書こうとしているのは、「その人がいると、それだけで場が和らぐ。」あるいは「その人が何か話しだすと、何故か希望を感じる。」そんな人のことです。周りを見渡せば、思い当たる方がいらっしゃるのではないでしょうか?

 

その人たちは、必ずしも社交的で話し上手というわけではありません。日常の中では、巧みな話術に引き込まれて思わず聞き入ってしまう、といった場面を経験することもあるでしょうが、どうもそれとは違います。あるいは、周到な準備で理論武装をして、相手からの論破を100%阻止する完全無欠の理論を聞いて味わう「お見事!」という感覚とも違います。

 

むしろ、その人たちが語ることは「隙だらけ」である場合が多いような気がします。そもそも隙をつかれることなど端から考えていないようで、そうなっても、

「私の言ってること、おかしい?…えっ、ここ?……ああ、本当だね。ははっ。」

こんな感じです。そうなると聞いている側も、

「何を言っているかはよくわからないんだけど、なぜかあの人の話って心に残るし、何か気持ちに残るものがあるんだよね。」

こんな展開になっていきます。

 

何が違うのでしょうか?「隙だらけ」なことがいいのでしょうか?それだけなら自分でも名乗りを上げる資格がありそうですが、まあそんなことではないでしょう。明らかな違いがありそうです。それは、その人たちはおそらくは「違いなんか意識していない」ということではないかと思うのです。もっと言えば、「自分の言動で相手がどう反応するかは相手のことで、自分が何か意識しないといけないことってあるの?」こんな心持ちではないかと思うのです。

 

当館の中の話でやや気がひけますが、生徒たちはたった1枚のプリントを受け取る度に「ありがとう」を言います。前から回ってきたプリントを受け取ると、前の生徒に「ありがとう」と言うのです。自然発生的なことですから、当館の方針というわけではありません。それでも、ありがとうと言われて気分を悪くする人はいないでしょうし、見ている方も気持ちが良いものです。当の本人たちは何故ありがとうというのか、などとは考えていません。ただ言いたいから言っているように見えるのです。

 

ありがとうの例で少しだけ掘り下げて書き加えますと、それを勧める活動はいろいろなところで見受けることができます。純粋なあいさつ運動から、だんだんと極まっていくとピンチをチャンスに変えるおまじないの言葉として用いることを推奨されたり、中にはありがとうを何万回唱えたか回数によって、幸せのランクが高まっていくといった意味合いを説かれ実践されている方たちもおられるようです。

 

その効能のメカニズムや背景を勉強してみると、けっこう興味深かったりしますが、かといってその理論構成が完璧であって納得することと、あるいは実践することで好転していった事例を1万事例聞かされることと、自分が実践することは必ずしも結びつくものではないようです。先にあげた生徒たちはそうした理論とは無縁です。だけど、いつも笑顔の明るい雰囲気です。

 

世の中には道徳律や成功法則などが多く存在します。それらは様々な形で情報としてキャッチすることができます。そして、自分が受け入れられるもの、気に入ったものを日々の中で実践していくこともあるでしょう。それでも道徳律を守っても穏やかになれず、成功法則を実践しても成功しないことだって少なからずあることでしょう。

 

そんな時に思うのは、

「こんなにいいことをやっているのに、どうして分かってもらえないんだろう?」

「あの人と同じ成功のパターンを実践しているのに、どうも成果がでないなあ。」

こんなことではないでしょうか。これは自分自身で体験済みです。

 

一方そばにいて雰囲気を和らげる人、何か希望を感じさせる人たちが何を考えていらっしゃるかはわかり得ないのですが、接しているとその人たちには共通するものがあるように思われます。それは「悪口を言わない」「比較しない」ことです。しかも理屈で理解してそうしているのではないみたいなのです。

 

「人の悪口を言えば、自ずと自分に返ってくるようになっています。ゆえに私は人の悪口は口にしないようにしています。」

ではなくて、

「あの人の悪いところ?…うーん、何かあるかもしれないけれど、それ言ってどうするの?」

こんな感じです。こんなことすら考えていないかもしれませんが、とにかく自然にサラッとしてといった感じです。それでいて、その人たちの思考は無思慮のそれとは違っています。

 

現実でのうまくいく様子を少し理屈っぽく表すと、無数の情報の中から現状に適合できそうな理論や行動パターンをいくつか選んで、そのパターンから導かれる結果もこれまでの多数のデータから予測し、その精度をより高めていく。こんな感じになります。そして、日常の中ではこうした作業能力を高めることを、仕事でも学習でも無意識に行っているようです。

 

でも、こうした枠にとらわれない言動に接すると妙に心地よさを感じます。適切な表現ではないかもしれませんが、言っていること、振る舞いに「借り物」を感じさせません。自分の言葉・自分の行動が中から無限に湧き出てきているようで、何か明るいものを感じさせます。

 

そして、こうした人たちは、子どもを含めた若い世代の人たちに増えてきていると思うのです。当館も時折使います「未来はあなたたちに託す。」のフレーズに応えてくれる若い方たちが、これからも現れてくれることを望んでいます。

(08.1.21)

クョスコニョ    [1] 
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