インターネットで他の方のサイトをのぞくと、いろいろと気づかされることがあります。まあ、様々なサイトがありますから、ちょっと気を抜いて見ていると、かえって頭の中が混乱しそうになることがあります。
「情報の洪水の中で溺れてしまう」という表現が近いと思いますが、毎日その中に世界中で何億もの人がやってきて、様々な泳ぎを披露しています。「みんな溺れないでちゃんと泳いでいるんだろうか?」と余計なことを詮索しながら、自分も溺れないよう程々にネットの中の川岸近辺を行ったり来たりしています。
日頃、目が行くのは全く違うジャンルのサイトの方が多くなりがちです。それは、経営者や学者さんや評論家の方のサイトであったり、それにお医者さんや整体師、芸術家や宗教家の方などのサイトものぞいてみます。中にはプロレスのサイトなどもあります。(大きい声では言えませんが、隠れプロレスファンです。格闘技ではなくてプロレスがいいのです。これについては、いつかまた別の項で…)
そして今一番よく見ているのは、あるサラリーマンの方のブログです。一歩先の話題が多方面におよび、いろんなヒントがあります。(これについても別の項で…)ご同業の方のサイトからも学ぶことは多くありますが、なかなか拝見する機会がありません。頻繁に拝見しているのは井上先生のサイトくらいでしょうか…。
これらよく見るサイトはそれぞれジャンルは違っても、共通して既成概念とは違った発想や、マスコミレベルでは分からない情報が含まれていることが多いように思われます。そして、情報の洪水の中に身を漂わせながらも、行き先は自分で決めています。決して流されているのではなく、みなさん巧みに流れを操る術を心得ているようです。
これら「泳ぎの達人」はアクセス数やランキングだけでは分からない所にいらっしゃることが多く、そうしたサイトと出会った時は、まるで宝物を発見したような気分でもあり、そこからいろいろなヒントを分けていただきます。
ところで、こうした宝物のようなサイトの中にも「異変」を発見することがあります。掲示板等、外部参加タイプのサイトでは、予期せぬ発言によってサイトオーナーの思いとは違う方向へ進んでしまう場合があります。サイトオーナーに好戦的な方はほとんどいらっしゃらないのに、一度火がつくと主催者抜きで論戦の場となってしまいます。心地よさを求めて訪問したサイトの中は瞬く間に危険地帯と化してしまいます。何と言うことでしょう。
こうした状況を嫌って、外部のアクセスを制限しているサイトを見かけることもあります。よっぽどいやなことを書き込まれたのかもしれません。「個」の単位で情報を受発信できる有用なツールなのに、使い方ひとつであらぬ方向に進んでしまう脆弱性を内に抱えているようです。
ある方が、「一番ドロボウが入りにくいのは、塀のない家」と言われたことを聞いたことがあります。周りからまる見えだと、死角がないというのです。確かにすべてオープンでは悪いことをするのは難しそうです。
ところが、実際には「塀のない家」はあまりありません。むしろ塀を高くし外部からの侵入をしにくくしたり、カギも二重三重と「セキュリティー」を万全にしていきます。先のある人は、この状態を「外から見えにくいし入りにくいけど、逆に中からも見えにくいし出にくい」と指摘します。外との出入りに制限が加えられるのは、本来心地よい状態ではないように思われます。
つい最近まで「ミクシィ」という単語を知りませんでした。ある方に「詳しくはミクシィをご覧下さい。」と言われて「何?」となりました。いろいろ聞くと「ネットの中の安全地帯」のことのようです。すでに中にいる人からの招待がないと中には入れてもらえないサイトというか大規模なゾーンのことのようです。利用者の素性がみな明らかになっているから、安心したコミュニティが維持できるということだそうです。
心地よい環境を維持するためには、電脳空間の中でさえも高い塀が必要とされるようです。入ったことがないので分かりませんが、素性が明らかな人たちのコミュニケーションなら実名でもよさそうなものの、大人の中でもハンドルネームが用いられている様は、会員制の仮装パーティーのイメージも湧き起こってきます。知らない分だけ勝手なイメージが起こります。
こうした招待制の、ソーシャル・ネットワーキング・サービスは2004年2月にはすでにスタートしていたというから、相当遅れていました。当初1万人前後の登録でスタートしたこの制度は、現在1000万人程度が利用するまで拡大しているようです。でも、このまま増えていったらどうなるのでしょうか。「みんなが塀の中」という不思議な状況になるのでしょうか?
(08.2.16)