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ちょっと休憩室で…

 

 

ホームページを気を入れて作ってみると、「こんなにエネルギーを使うものか」と実感しました。ささやかなサイトに過ぎないのですが、それでもです。

このページは、特にテーマを設けず、その時々のことをちょっと息を抜いて書き込ませていただく、という制作者が休憩させていただく勝手なページです。申し訳ありません。

 

 

 

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   「なんで?」の心理
 

「なんで?」という言葉、最近いろんな場面で耳にする機会が多くなっています。この言葉は文字通り「何故?」と問いかける意味で使われることが本来の使われ方でしょうが、小さな子どもが「なんでなんで、ゲーム買ってくれないの?」という時はそうではありません、自分の思いが通らず不満を抱えた状態を、相手に訴えるやや稚拙な表現方法として用いられます。平たく言うと、「ダダをこねる」のに使われる、といっていいかもしれません。

 

この気軽に使える「なんで?」は、「疑問提示」にでも「ダダこね」にでも使える言葉です。でも用途はこれだけではなさそうです。深くマスターしていくと、「熟練」の使用方法があることに気づきます。一度身につけると、いろんな場面で乱発してみたくなる要素を含んでいるようです。今回はそんな「なんで?」にこだわって進めてみます。

 

たとえば夕食時、食卓で子どもがコミック本を見ながらご飯を食べていたとします。そこに母親が「ごはんの時は本を読みながら食べてはいけません。」と言います。すると、子どもは「なんでー?」と聞いてきました。この会話の続きはどうなりそうでしょうか?ありそうな続きの会話を考えてみます。

 

母 親「ごはんの時は、本を読んじゃいけないっていつも言ってるでしょ。」

こども「だから、なんでー?」

母 親「ごはんの時に、他のことをするのはお行儀が悪いことなの。だからだめなの。」

 

これまでは、これくらいの会話で終わっていたことでしょう。しかし、今は続きがあります。

 

こども「ふーん、ごはんの時、他のことはしちゃいけないんだ。でも、なんでテレビはついているの?」

母 親「そ、それは、テレビなら手がふさがれることないでしょ。」

こども「へえ、手をふさがれないことならいいのはなんでー?」

母 親「もう、このお話はおしまい。黙って食べなさい。」

 

この場合、論理破綻寸前の母親と論破目前の子どもとでは、どちらが劣勢か明らかです。優位性をつかんだ子どもは、ここで疑問を解決することに重きを感じないことでしょう。上の会話では、子どもは間違ったことを言っているわけではありませんし、本気で疑問をぶつけてきたのかもしれません。それにひょっとしたら、この子は新聞を広げながら食事をする大人の姿を以前に見た経験があったかもしれません。

 

たった一語「なんで?」と疑問を発することで、ほころびを見せる大人の様に、子どもはまず落胆を覚え、反感を感じるかもしれません。その一方で、瞬時に形勢逆転できる強力な武器を手に入れたと実感すれば、いろんな場面で試してみてその効用を確かめたいと思うかもしれません。

 

使用例です。家では、帰ってきたら手を洗う、宿題は早く済ます、ゲームをやりすぎない、いろんな言葉が飛んできます。これらの言葉には、たった一言「なんで?」と返します。学校では、廊下は走らない、人の話は静かに聞く、授業中は立ち歩かない、これらの決めごとにもたった一言「なんで?」で切り返します。このボディブローようにジワジワと効いてくる攻撃に苦い思いをされている大人は多いはずです。

 

ところでこの勝負、圧倒的に解答する側(多くの場合は大人の側)が不利となる構造になっています。お分かりかもしれませんが、解答する側は返答し始めた瞬間から「ノーミス」であることが要求されます。もし不備を発生させれば、質問者はそこをついて新たな「なんでー?」を発すればいいだけです。解答者は不備を挽回しようと、さらにエネルギーを使って解答をしなければいけません。

 

気がつくと、くたくたになっている解答者と余力を残した質問者という構図が出来上がっています。そこには、「無制限に質問を発する権利を持つ子どもと、無条件に質問に返答する義務を負った大人」という関係がいつの間にか成り立っていて、それを前提とした会話のやりとりがなされます。でも、このような取り決めっていつできたのでしょう?

 

多くの場合、「なんで?」を発した側は自分の思考を止めておくことができます。替わりに相手が解答を用意します。気に入らなければ別の解答が出るまで「なんで?」を多用しておけばいいわけです。状況にに応じて「どういうこと?」「意味がわからん」などを織り交ぜれば用途にも幅が広がります。ある意味、便利な使い方ですがこれに慣れすぎると、弊害も起こりそうです。

 

あまり「なんで?」に慣れてくると、「思考停止」が常態化してきます。そこで「なんで?」の「誤用」も発生します。例えば、「2週間後には中間テストです。」に、これを使うとどうでしょう。日程的な問題を指摘したいのでしょうか。あるいは教育制度そのものに疑問を呈したいのでしょうか。そのような深い思考ならば、たった3語を発するということはないでしょう。

 

実は、大人の方々にも誤用の発生が見受けられます。公共の場でオモチャを投げたり言うことを聞かない3歳くらいの子どもに「なんで?」と大声で怒鳴る若いお母さん。もちろん、論理的な解答は求めていらっしゃらないでしょうけれど…。08.09.01首相退陣表明直後、街頭インタビューで、ご丁寧に「なんで?」を3連発していた20代の方。放映はこの部分だけでした。

 

いろいろと書いてみましたが、今多くの場面で「なんで?」を発信する子ども(一部大人…すいません)たちは、明確な解答を求めるためでなくこの言葉を発しているように思えます。「解答を求めていない」というよりは「解答を期待していない」の方が近いかもしれません。「なんで?」の背景には、探求心に始まり、不満・落胆・やけなどがブレンドされ、その上を「偽装軽薄」でコーティングするなど、けっこう重厚な構造になっている心理が見受けられます。

 

これって、「なんで?」を発する側に責任を全部引き受けてもらうのはあまり穏やかではない気がします。彼らは、解答する側から「智恵」をいろいろと身につけて「なんで?」を深化させてきたのです。それに、責任の所在を探求していったところで、今の状況ではあまり意味がなさそうです。背景を穏やかな心で見ることができる大人が増えて、「なんで?」の激減した穏やかなコミュニケーションが交わされるようになることを望んでいます。

(08.9.8)

 

クョスコニョ    [1] 
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