一昨日、教材会社が主催されたセミナーへ出席しました。教育の今後の成り行きにも関するタイムリーなテーマでしたので、関心を持ってセミナーへ臨みました。主催者側の対応も良くて、内容も大いに勉強させられるものでありました。でも、今回焦点をあてたいのはそこではないのです。その場で「主観」として気になったことがいくつかありました。
まず、定刻になっても出席者がそろっていません。会場がガラガラです。講師の方が話し始められてから、遅れて着席する方の動きが何度も視覚に入ってきました。5分経っても10分経ってもこの光景を見ることができました。交通事情など個々の事情があるでしょうから、細かいことは気にしないとしても、1時間遅れで入って来られた方は、自分の中では「確信犯」と映ってしまいました。その後、会場は開始前より開始後に入場された人の方が多いと思われる出席者で埋まっていきました。
セミナーの間は私語が聞こえます。近くから遠くから何カ所からですが、声の主から席の近い人の困った表情がうかがえます。それでもお構いなしに私語は続けられています。この方たちもご自身の教場へ戻られると、子どもたちの私語と向き合う場面があるでしょうに、どのような対応をなさっているのでしょうか?また違う席では、物を口に入れて話を聞いておられる姿が目に入りました。もう、視線を講師の方以外に向けられなくなってきました。
半月ほど前に、学習塾とは無関係のセミナーへ参加しました。規模は今回のセミナーとほぼ同じで、出席されている年齢構成もほとんど変わりありません。この会、妙にアットホームで不要な私語などありませんが、講師の話に合わせて小さな笑い声が時々起こります。参加されている方たちが状況を把握されています。全体的に温かな雰囲気で、不快な思いをされた方はいなかったでしょう。
そんなことを思い出しながら、セミナーの会場へ座っています。ふと見ると近くに熱心にメモを取っておられる人がいました。講師の話に合わせて手を動かしていらっしゃいます。その前を人が立ち歩いたり、私語が耳に入ってきているはずなのですが、そんなことには意を介さずといった様子です。「聞くべきことは聞く」と講師に集中され、黙々とペンを動かしておられました。その姿を見て、ふらふらと視覚・聴覚を奪われ、人のことばかり気にしている自分が恥ずかしくなりました。
以前にも触れたように、「人を変えよう」とは思わない方がいいと思っています。「主観」で見れば「不快」と映ることでも、当のご本人にしてみればその都度自分の中で、現在行える最善の判断を選択していると思っていらっしゃるのでしょう。それを「不快」と受け取るのは個々の感覚ですから許していただくとしても、そこに「正しい」「間違い」などと主観で「裁き」を加えるのは控えた方がいいのだろうと思います。
でも、いまだについついやってしまうのです。そこには負のエネルギーが発生するだけで、何にもいいことはないのですけどね。自分の未熟さを思い知らされる瞬間です。「人のことをあれこれ考えるより、自分でできることをやれ!」そんなことを、黙々とメモを取っていた人の姿から思い出させていただきました。存じ上げない方でしたが、ありがとうございました。
(08.10.11)