Home Search SiteMap E-Mail Admin Page
●青葉学習館のご案内   ●今「教育事情」は? ●グリーン・メイトから ●ちょっと休憩室で… ●身近なQ&A ●お問い合わせ等は…
サイトマップへ
 主な更新(最新6/5) 
●「巻末雑感」…………    追加更新しました
●「ことばのぎもん」…    追加更新しました
●気になる教育事情から   追加更新しました
●「ちょっと休憩室で」  追加更新しました
●「身近なQ&A」……  追加更新しました
目的ページへ直行@
目的ページへ直行A
目的ページへ直行B
 今知りたいデータ
●新指導要領に関して…
●検証・2学期制の導入
●小中学生の漢字力は…
●食事と学習の関係は…
特集/成績に関すること
検証/内申点の影響力
 良識ある教育サイト
●井上教室(佐伯区)/さりげない記事の中に、教育のツボが満載されています
 学校へ行けない人へ
●こちらからどうぞ
ある少年の残したメッセージから

ちょっと休憩室で…

 

 

ホームページを気を入れて作ってみると、「こんなにエネルギーを使うものか」と実感しました。ささやかなサイトに過ぎないのですが、それでもです。

このページは、特にテーマを設けず、その時々のことをちょっと息を抜いて書き込ませていただく、という制作者が休憩させていただく勝手なページです。申し訳ありません。

 

 

 

「ちょっと休憩室で…」トップへ 

 

   楽な生き方
 

楽に生きたいと思います。気負わずに、自分の気持ちのおもむくままに生きていくことができれば誰もが楽に生きられそうなものです。それなのに、この「楽に生きる」ということが、思うほど「楽」にできないのは不思議なものです。

 

「楽」に生きられれば「楽」なのに、こんな分かり切ったことがどうして簡単にできないのでしょうか?このコーナーも「ちよっと休憩室で」と銘打っているのですが、楽に書けていないこともあります。気楽に書かせていただいているつもりが、何らかの制約を感じている場合があります。もちろん、どなたも制約などをされているわけではないのですが、自分の中で勝手に思い込んでしまっているのでしょうね。…今回はコーナーの名の通り、ゆったりとした休憩気分で書き進めていきたいと思います。

 

「楽」と感じることをそのまま「楽」と受けとれないことってありませんか?それには、こんなことが考えられないでしょうか。一つには「楽」を求めているつもりが、思いとは裏腹に「苦」の種まきとなってしまっていると感じた時。楽を感じている時は安心した心持ちで、周りへの警戒心を解いている時です。でも、これを悪く言えば外部に対して「無防備」な時とも言えます。

 

中学生のある子の話ですが、自分の悩みを友人に打ち明けました。次の日学校へ行くと、クラスのみんなが自分の悩みのことを知っています。中にはからかう子も出てきます。心を許して自分の内側をそっと開いて見せたのに、次の瞬間には大勢の前に自分の心が野ざらしにされています。この子は心を開くことが怖くなりました。

 

ゆったりと気を持ちたいのに、気を許していると周りから自分がどう見られているか分かったものではありません。そんなことが気になって不安になっていくことがあります。防御策に四方八方にセンサーを張り巡らして、常に感度を高くしておきます。そうしていないと不安が解消されないからです。周りの気配に気を配り、例えばメールなどで過剰にコミュニケーションを維持します。常に気を張っていないといけないから、いつも気が疲れます。「楽」とは程遠い状況なのでしょうが、これが学校や職場などで数多く見られる今の現状なのでしょう。

 

ふっと気を抜いていると、いつ落とし穴に落とされるか分からない社会は心地よさそうにありません。もう毎日のように耳にするようになった「振り込め詐欺」なんて、相手を疑わない気持ち、本来日本人が自然に用いる感情を悪用しているわけですが、一向に減りそうにありません。銀行へ行けば、相手を「疑う」ことを促すチラシ・ポスターだらけで、これも心地いいとは言えません。お年を召した方たちにも、一層の緊張を求めなければいけないとは…。

 

緊張を強いられるのは犯罪だけではなさそうです。今急速に身近に感じつつある金融破綻の原因となったデリバティブは、相手の気の緩んだ隙をつくシステムです。隙の発生を逃さず拾い上げていく、物理学・高等数学を駆使した金融工学は、一部の人に巨大なマネーが集中していくことを可能としました。これが歓迎されることはあまりないでしょうが、それでも「隙を作った方が悪いのだ!」というこの理論はこれまで「合法的」に認められてきたものです。そしてこのシステムは、ビジネス最先端の主流としてまかり通ってきました。「でも、何か温もりを感じないし、居心地が悪そう!」などと思ったとしても、なかなか口に出せそうにありませんでした。

 

居心地の悪さや窮屈さを感じても、その状況を長く経験していると違和感がだんだんなくなってきます。「これが普通の状態なんだ」と認識するようになってくるでしょうし、それを「サポート」する「しかけ」が世の中たくさん配置されているようにも思えます。それに抗うのはエネルギーも使いますし、「楽になりたい!」と苦労するのも何だか矛盾しているような気もしてきます。「そのうち、誰かが動き出したら自分も動こう」と、一日一日が過ぎていきます。

 

長くなってきましたが、「楽」になかなか届かない背景をもう一つ。それは「私はいいからお先にどうぞ」というスタンスです。10人いるところに、おいしい料理が5食分しかない場合どうしましょう?絶対自分は食べようと策を案じる人と、何とかみんなが食べられないかと考える人が出てくるでしょう。そしてもう一つ、食べるために争うのはイヤだから自分は辞退する、という人も現れてきます。

 

楽と苦よりも得と損で考えた方が分かりやすいのかもしれませんが、自分が得をした場合誰かが損をする、それが苦になるという場合もあります。誰かが得をすれば誰かが損をする、そして得と損の量は同じで合計すればゼロになる、という「ゼロサム理論」を前提として世の中いろいろなことが成り立っています。だから、「機を逃さず他に先んじてチャンスをつかめ」というのが通りのいいフレーズでしょう。

 

でも、このゼロサム社会に居心地の悪さを感じる子どもたちは少なくありません。それを前提とする集団にはなかなか馴染めないことでしょう。そうした子たちはスポットから離れたところに点在し、「居場所ビジネス」の中でやや注目されるくらいです。この子たちの考えを正し、通りのいいフレーズの思考の中に戻してあげることが、「楽な生き方」につながっていくのか、どうかもよく分かりません。

 

そもそも「得」と「楽」は同じものではありません。「得」が有限なものだとしたら、「楽」は無限なものととらえればいいかもしれません。「得」をする人は限られた人でしょうが、楽に生きることはみんなができることです。自分が「楽」を感じているその周りに、百人千人の人が苦痛を感じながら暮らしている状態を「楽」と感じられないのです。「その人の努力に応じた状態が今の状態だ。何も気兼ねすることはない。」という成果主義が、ここにきてその色を変えつつあります。

 

こういった話を時々生徒にすることがあります。彼らは真剣に耳を傾けて聞いてくれます。そして自分たちの意見も返してきます。周りの仲間の悩みを真剣に相談にのったり、うれしいことがあればいっしょに喜んだりする子たちです。それぞれが抱えるモノを持っていても、それを笑って乗り越えようとしています。手前味噌ですけれど、彼らを見ていると「希望」が見えてくるし、周りが明るくなります。

 

でもこの子たち、前の日に語ったことなどお構いなしに、やんちゃな光景を教室で繰り広げているのです。それでいいのだと思います。楽に生きるのだから楽にしていればいいのです。日々の生活で泣いたり笑ったりしながら、楽な生き方を自分のスタイルにしていけばいいのだと思います。自分だけでなく、周りの人たちもいっしょに…。彼らなら、そしてまだ見ぬ若い人たちがそれを実現してくれる時が訪れるような気がします。そのためにできることを精一杯やろうと思っています。

(08.10.31)

 

クョスコニョ    [1] 
 前のテキスト: 「折れない心」というのは…
 次のテキスト: あるセミナーで

 

 

トップページへ

 

青葉学習館 Copyright (C) 2012. All rights reserved.