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ある少年の残したメッセージから

ちょっと休憩室で…

 

 

ホームページを気を入れて作ってみると、「こんなにエネルギーを使うものか」と実感しました。ささやかなサイトに過ぎないのですが、それでもです。

このページは、特にテーマを設けず、その時々のことをちょっと息を抜いて書き込ませていただく、という制作者が休憩させていただく勝手なページです。申し訳ありません。

 

 

 

「ちょっと休憩室で…」トップへ 

 

   思考拡散につき、まとめられない話題
 

なんとも心もとないタイトルですが、仕方ありません。その通りなのです。あるテーマで書き始めると、頭の中で連想ゲームが始まります。あちこちへ思考が拡散していきます。そのうちに「これはどうなんだろう?」と自分の中で発問すると、今度は頭の中で勝手に討論会が始まります。ああでもないこうでもない、と好き勝手なことを言っています。テレビで見かけるあの場面とそっくりです。

 

人の意見をまとめていくことには、負担を感じることもないし、お役に立てそうでやりがいも感じます。それなのに、自分のこととなるとどうもいけません。うっとうしさが先にきます。われながらうんざりしますが、「そのうち涼しくなれば頭もスッキリしてくるだろう」と気楽なものです。無理に頭の整理を試みることもなくほったらかしです。そんな中で書きたいことを書いてみます。まあ、休憩室だと思って寛大なお気持ちでごらん下さい。

 

その1.同じことなのに…

 

入試のシーズンを控えて、毎年7月頃から各校でオープンスクールが実施されます。そこでは、学校紹介から授業体験、クラブや施設の紹介、イベントなど盛りだくさんの内容で小6・中3生が迎え入れられます。加えて近年私学では「体験食堂ランチ」などと称して、無料で参加者に昼食を提供することが主流となりつつあるようです。

 

どうやら、これがオープンスクールの参加者数アップに貢献しているようなのです。中には、志望する学校にはならないかもしれないけれど、とりあえず参加しておいて、無料のランチはちゃっかりと頂いて帰りましょう、という参加者も少なからずいるようです。それでも主催する学校側は、そうした参加者の心理も織り込み済みで実施をしているようです。その意図するところは何となく見えてきます。

 

ここで、いくつかの疑問が出てきます。まず一つ目には、「それが志望動機となるか?」という点です。入試で面接官に「どうして本校を志望しましたか。」と問われて、「はい、食堂のメニューが充実していたからです。」となるでしょうか。確かに、近年志望動機も多種多様となってきています。建物が新しい、制服がかわいい、男女共学である、など…みんなれっきとした志望動機です。この中にランチが加わっても、まんざら不自然ではなくなってきているのかもしれません。

 

それならば、です。この作戦の効果は、いずれ限界に達する、と言わざるを得ないでしょう。その一番の理由は「これは、やろうと思えばどの学校でもできる」ということです。実際、上記の志望動機となることは、この十年間でほとんどの私学が着手してきたことです。無料ランチが有効ということならば、どんどんと追随する学校が出てくることでしょう。やがて、「どこもやっている」状態となり、学校間の差異はなくなります。これが二つ目の疑問、「みんながやれば、結局同じことでは?」ということです。

 

ここからは、さらに拡散の深みにはまっていきます。同じオープンスクールで、次のような架空の場面を想定してみます。…当日、生徒たちがお目当ての学校へ行ってみると、校門の前にずらっとその学校の在校生が並んでいます。そして、訪れた小・中学生にこう話しかけています。「ようこそいらっしゃいました。じっくりと本校を見ていって下さいね。それから、これで本校自慢の学食を食べて帰って下さいね。」と言って、在校生それぞれが参加した小・中学生一人ずつに自分の財布から出したワンコイン(500円)を手渡していきます。…どうでしょうか?

 

これだと気がひけてしまいそうです。ちょっと深く考える人ならば(深く考えるまでもないのですが…)そのコインは受け取れないような気がします。もちろん、どの学校でもこんな場面を見かけることはありません。実際には食堂でコインなしで食券を手に入れて受付へ手渡させば、おいしそうなランチが向こうから差し出されます。その時は「このランチ代、どこから出るんだろう?」などと考える余地はないことでしょう。はたして、架空の場合と実際の場合とではランチ代の出所は違うのでしょうか?

 

拡散はまだ続きます。やはり架空の設定です。ある人はどこへ行ってもお金がかかりません。電車やタクシーに乗っても、「お金は要りませんよ。代わりに私が出しますから。」と言われ、レストランで食事をしても「お代は結構です。代わりに私が払っておきますから。ああ、これは自由にお使い下さい。」と言われ、お札を受け取ることもできます。

 

もちろん、こんな場面を見かけることはありません。それでも、もしあったなら、「この食事代、どこから出るんだろう?…もしかして税金?」などと考える心の余地はまだ残っているでしょうか。その人は、「独立○政法人××機構」と看板のかかったビルへ吸い込まれていきます。よく考えると、この架空のストーリーも、現状で行われていることと同じような気がします。

 

それでも「継続は力なり」です。長きにわたり実施され慣習化されていくと、いつの間にか受け入れられていくようになります。「ずっと、これでやってきましたから…」「みんなやっていることですよ」こうしたフレーズは、現在なおいたる所で便利な使われ方をしているようです。これって、自分とは遠いところでのお話なのか、あるいはそうでないとしても、身近に意識しないのはどうしてかと、まとまらないまま頭の中の討論会もだんだんと疲れてくるのでした。

 

その2.悪魔の手の内

 

例年、夏休みが残りわずかとなると、自主的に勉強をしにやってくる生徒が出てきます。夏休みの宿題が終わっていないのです。当館としては、あれほど「早くやっておかないと、後でしんどくなるよ」と言ってきたのに、まるでそれが予言であったかのように、言葉通りの状況を見事に演じてくれています。

 

そんな生徒たちの心の内を少し推察してみます。お盆も過ぎた夏の昼下がり、クラブ活動もなく時間はたっぷりとあります。たまりにたまった宿題をやるのにはもってこいの状況です。鉛筆を持ってノートを開きます。すると、頭の中から悪魔のささやきが聞こえてきます。

 

「なあ、暑いのにそんなに無理することないだろ。夏休みなんだぞ。休みなんだからもっと休めばいいじゃないか。そういえばゲームも途中までだっただろ。今から続きをやっちゃえよ。ほら、楽しいぞ〜。疲れが吹っ飛ぶぞ〜。」

 

こんな感じです。頭の中で聞こえてくる悪魔からの提案は、賛成多数で受け入れられて、その時は何とも言えないリラックスした時間を過ごします。そのまま心地良い時が続いていけばいいのでしょうが、そうはいきません。ふと我に返ると、目の前に山積みにされた手つかずの宿題が現実を一瞬にして思い出させてくれます。そして「どうしよう?」といつも味わう不安な気持ちに戻っていきます。

 

この場面、子どもたちに限ったことではなさそうです。働く大人たちにも悪魔のささやきは届きます。「おい、そんなに一生懸命にならなくてもいいだろう。ちょっとくらいサボったってバレりゃしないって。あんまり必死にやってると体壊すぞ。お前にだって体をいたわる権利くらいあるだろうって。そうそう、ちょっと休憩してそこそこやってりゃいいのさ。」こんな声が聞こえてきたらどうでしょう、グラッときませんか?

 

大人だって悪魔にささやきかけられますと、彼の提案はやはり賛成多数で受け入れられて、しばしリラックスした時間が流れます。心地良くサボった後に待っているのは、抱えきれないほどの仕事であって、瞬時に現実へ戻してくれます。それを優れない表情で残業しながらこなしていたりするのかもしれません。そして「どうしよう?」といつも味わう不安な気持ちに戻っていきます。

 

さらにテレビをつければ、今なお連日報道の続く芸能人への「悪魔のささやき」の顛末を、多くの方が関心を持ってごらんになっていることでしょう。彼らには、こんなささやきが聞こえていたのでしょうか。

 

「疲れているんだろう?だったら吸っちゃえよ。気持ちがフワフワしてくるの知ってるだろ?ここなら人の目もないし大丈夫さ。誰に迷惑がかかるっていうんだ。お前にだって快楽を味わう権利はあるだろう。そうそう、吸っちゃえ、吸っちゃえ…」このような声に、心の中では全会一致で多種のドラッグが受け入れられていきます。

 

この後の流れは、メディアでご丁寧なほどに伝えられています。発覚すれば、それまでに得た快楽の代償を遙かに超える苦痛を味わうことになりそうです。発覚しなければ、今度は代償として肉体が悲鳴をあげていくことになるでしょう。いずれも安らぎとは程遠い所へ導かれていきます。それを実感した人は自らの非を認めざるを得ない状況になり、ささやきには耳を閉じようと決意することでしょう。

 

ここでもやはり拡散してしまうのですが、自らを否定されつつある悪魔の立場からすれば、それを黙って見過ごすことができるでしょうか。居心地のいい場所を追い出されつつあるのです。居場所を確保するためには次なる手を打ってくるのではないでしょうか。それは「悪いのは自分じゃない。こうなった原因は自分の外にあるんだ。」と、ささやきの受取人たちに思い込ませることのように思われます。

 

「宿題ができないのが悪いのじゃなくて、こんな宿題を出す方が悪いんだ。これをやって何の役に立つと言うんだ。」とか、「仕事をさせようと思うんだったら、上司がもっと率先してやるべきだろ。それに、この商品売って本当に役に立つのか?」あるいは、「自分だけが追い回されてるけど、もっと他の人もやっているだろうに。報道で自分を悪に仕立て上げられているんじゃないか。」

 

こんな考えを蔓延させて、人と人のつながりをギスギスしたものにして分断しておけば、あちこちに悪魔にとって居心地のいい場所がどんどん増えていきます。そんな意識などなくとも、このような場所を提供することに協力することが、自分にとって居心地のいいことか、ちょっと考えただけでも分かることなのでしょう。それでも、知らず知らずの内に、賢明な悪魔の謀の乗せられてしまっているのでしょうね。

 

できるだけ悪魔さんたちが寄りつかないように、ギスギスとしたつながりは築かないようにと意識している次第です。

きっと、まだ続きます。いったんここで…

(09.9.18)

 

 

クョスコニョ    [1] 
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