梅雨の明けた先週の土曜日のことです。あるきっかけで広島平和公園の公衆トイレ掃除のボランティアに参加してきました。その時の様子を少しご報告します。
午前9時からトイレ掃除ははじまりました。参加されていた方は私を含めて13名で、初心者は私だけのようでした。この日の目標はレストハウス裏の公衆トイレをきれいにすることです。男子用トイレ、女子用トイレ、そしてトイレの建物の上と分担してそれぞれが取りかかります。私は、男子用トイレの小便器1器をきれいにすることになりました。
勝手の分からないままスタートしましたが、参加していた周りの方たちのアドバイスをいただいて、クレンザーとサンドメッシュを使って便器の外側も内側も磨き上げていきます。「磨き上げていく」というと聞こえがいいのですが、そんなに簡単にきれいになる代物ではないことは、便器と向き合って時間が経つとともにだんだんと分かってきました。
余計なことを考える間もなく、手は便器の裏にしっかりとこびりついている尿石に素手で触れながらゴシゴシやっていました。それも、10回、20回こすって落ちるレベルではなく、きっと100回・200回、あるいはそれ以上ゴシゴシやってやっときれいになる便器と向き合って1時間ばかりが過ぎていたと思います。
意外だったのは、便器を素手で触ることにそれほど抵抗がなかったことです。あらかじめ、そのような掃除になると覚悟していたからかもしれませんが、そんなにイヤではありませんでした。まだ、たった1回切りのことですし、そんなに上手に掃除ができたわけでもありません。そして便器から発せられる特有の匂いが染みついたのも実感したのですが、感覚としては「自分は嫌いじゃない」と思いました。
この日、トイレ掃除に参加する以前より、こうした活動が全国に広がっていく元となった鍵山秀三郎さんのことは、書物をいただいたり講演をお聞きしたりして、それとなく知っていました。それにちょっと離れていますが、岩国ではいろいろと教えをいただいた佐古先生がトイレ掃除を実践なさっていて、「トイレ掃除が人を変える」ことも聞き伝手の知識として知っていたことではあります。
その程度の私が、何かの機会で「こんな活動があるよ」と言ったところで、薄っぺらなものでしかありません。何度か口にしたことがあったと思いますが、今思えば我ながらよく言ったもんだと思います。やってみるとどうなんだろう?と頭で練り上げて考えるより、一度実践した方が早いに決まっています。今回のトイレ掃除で、それが確かめられたような気がします。
ここまで書いて何ですが、私はトイレ掃除を全面的に礼賛し、肯定面だけを前面に据え付ける盲信型の行動は苦手です。でも、今回のトイレ掃除の感想を言えと言われれば、「やってみないと分からない清々しさを体験」と言わざるを得ません。心が思った正直な気持ちだからです。それは、今回誘っていただいた主催の酒井さんの、掃除を含めた様々な活動に対する姿勢に因るところが大きいと思います。また素敵な出会いをいただきました。
(2012.7.12)
*当日の掃除の様子はこちらです。
*今月末には、宮島でトイレ掃除が予定されています。ご関心のある方は、こちらをごらん下さい。