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ホームページを気を入れて作ってみると、「こんなにエネルギーを使うものか」と実感しました。ささやかなサイトに過ぎないのですが、それでもです。

このページは、特にテーマを設けず、その時々のことをちょっと息を抜いて書き込ませていただく、という制作者が休憩させていただく勝手なページです。申し訳ありません。

 

 

 

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   ラベリング
 

砂糖と塩を同じ容器に入れると、どっちがどっちかなかなか見分けがつきません。誤って料理に使うと、とんでもない味付けになります。そうならないよう、それぞれの容器には「砂糖」・「塩」と書かれたラベルが貼られます。このラベル貼りのことをラベリングと呼ぶことにします。

 

ラベリングによって、中身を見分ける情報を手にすることができます。これで砂糖と塩を誤って使うことを防ぐことができます。日常の中にはラベリングによって中身を判断しているものが相当ありそうです。例えば醤油とソースでもそうでしょうし、同じ色のファイルでは背表紙にラベリングをすることで、間違えずに目的のファイルを取り出すことができます。マンションなどでは同じ形の玄関にルームナンバーをラベリングをすることで、間違えずに郵便物が届きます。

 

もう一つ例をあげます。同じ色の2つの液体があって、一方が薬でもう一方が毒だとします。そうなればラベリングは欠かせないものとなります。身の危険に関わることだからです。この時、間違えて薬のビンの中に毒が数滴混じってしまうと、どっちのラベルが貼られるでしょうか。当然「毒」の方が貼られます。仮に、その薬と毒の混合液をそれぞれ分離することが技術的に可能であったとしても、安全性を考えると、やはり「毒」として扱われるのではないかと思います。

 

これが人だったらどうでしょうか?例えば、ある子が好奇心でちょっと髪を染めたとして、すぐに見つかって大人からひどく叱られたとします。その子はそれに懲りて、もうしないと心の中で決意しますが、周りからは「問題行動を起こした子」というレッテルを貼られます。もうしないことを主張してレッテルはがしを何度か試みますが、周りがそれを認めてくれません。やがて説得する意欲も失せて、結局レッテル通りの「問題児」に本当になっていきます。

 

これが社会学で言うところのラベリング理論です。「犯罪や非行などの逸脱行動は、社会によって作られる」という側面に焦点を当てた理論です。社会規範や学校規範に反した行動をとった子どもが、時としてふてぶてしい態度をとるのは、周りの大人がレッテルをはがすことを認めてはくれない人、と認識している場合に起こりがちです。認めないばかりか、新たなレッテルを追加してこないかとピリピリして、心の中で身構えています。

 

例えば、短気な人というラベリングを考えてみます。ある人が「あなたは怒りっぽい人でしょう?」と挑発的な質問をされたとすると、当然その人は否定します。それでも、たたみかけて「本当は違うんじゃないの?」「無理していない?」としつこく聞かれれば、どこかで限界に達します。そこで怒って反論をしかけると、「ほら、やっぱり怒った」となり、「あいつはキレやすい」とレッテルを貼られます。意図的にラベリングをすることも可能です。極端ですが、そういった状態を恐れて身構えている人は少なくないような気がします。

 

このレッテル貼りは、実は逸脱行動や問題行動とされるもの以外でも、日常の生活の中で相当見られそうです。例えば、ある子に「身のまわりの整理ができない子」とレッテルを貼ると、自分でも整理のできない人と理解し、いっそうラベル通りの行動を取るようになります。そうなると、整理のできない子というラベリングが強化されて、本人に任せることをしなくなり、周りの人が片づけをします。その方が手早いからです。

 

「この子は私が見てあげないとダメなんだから…」というのも誤ったラベリングだと思います。その人がいなければちゃんとやる場合もあります。ですが、レッテル通りの行動を取る方が楽でもあるし、レッテルを貼った人がそれを望んでいる場合もあり、その通りに行動する方がその場が安定するということを直感的に察知しています。学習を指導する側も「私が見てあげなければ…」と勘違いしないよう気をつけたいものです。ご家庭ではどのような事例があるか、お考えになってみて下さい。

 

もう一例あげてみます。おとなしいということは逸脱行動ではありません。それでも、積極的に行動することが肯定され、自分を前面に押し出すことを求められる社会では、その規範からはずれていると、「消極的」とか「リーダーシップがない」とレッテルを貼られる場合があります。その子は周りとの調和を考えて、一歩引いているだけかもしれません。違う場面では、立派にリーダーを務めている場合もあります。指導する立場の人ならば、それを見抜けなかったことを反省しなければならないかもしれません。

 

レッテルを貼られることを気にしながら生活する集団や社会は居心地良くありません。誰も自分にはされたくない、と思うことでしょう。それでも、大人はいろいろな場面で、知らず知らずにも親として、教師として、あるいは上司として、様々な立場でレッテル貼りに加担しています。ラベリングということを意識して、大人が行動を変えれば、相手が子どもであっても大人であっても、もっと穏やかな関係が築けて、穏やかな社会になっていくのでは、と考えます。

(2011.9.6)

 

クョスコニョ    [1] 
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