時折、当館の生徒をお家までお迎えに行くことがあります、ちょっと遠方で、お家の方の送迎の都合のつかない時などです。昨日は、やはりちょっと遠方の小学生の子をお迎えに行ったのですが、その時の光景からです。そこは、ちょっと高台にあって、すぐ目の前を見下ろす位置には、瀬戸内海を背景にして大きな公園が目に入ります。まだ、できて間もないその公園からは、子どもたちの元気な声が聞こえてきます。
目の前の道路の向こうは急勾配の法面になっていて、その向こうには広々としたグランドや芝生が広がっています。生徒が準備をしてお家から出てくるまでのわずかの間ですが、目の前をボーっと眺めているだけでも気持ちはゆったりとします。どうしてか今日は、ふと目の前の急勾配の法面に目が行きました。様々な雑草がたくましく茂っていて、法面全体を覆い尽くしています。
何度も見ている景色ですが、その雑草の中に黄色の花を咲かせたセイタカアワダチソウの一群があることに気がつきました。セイタカアワダチソウは、元から日本にあった植物ではありません。北アメリカから入ってきた外来植物です。明治以降日本へ入ってきて、第二次大戦後急速に全国いたるところへ広まっていった植物のようです。いったん根を張ると、他種の発芽を抑えて一大群落を形成することも多いようですが、あまりにも日本の風景に溶け込んでいるのでしょうか、これまで意識して見たことはありませんでした。
その公園前のセイタカアワダチソウは、名前のように背は高くなく、1m程度の高さのものでした。以前はもっと背の高いものが多かったようです。それは、セイタカアワダチソウが地中深くに根を張り、その深さがネズミやモグラが生活する空間の深さと一致し、彼らが地表から運び込む豊富な養分を得ることができたからだそうです。そうして、セイタカアワダチソウは戦後の日本で何十年と繁栄してきました。
ところが時が経ち、ネズミやモグラが駆除されるようになってきました。土の中のネズミやモグラが少なくなると、地中深くに養分を運び込む量が減少します。時の経過とともに徐々に減る地中深くの養分で成長するセイタカアワダチソウは地表で枯れて、結果的に地中の養分を徐々に地表に戻していることになります。そうなると、根が浅く地表付近の養分を吸収する、戦前から日本にあった植物が再び繁殖してくることになります。ススキもその一つでしょう。
公園での景色に戻ります。先の法面のセイタカアワダチソウの一群が黄色く色づかせていたのは法面の左手に点在したわずかに場所に過ぎませんでした。そして、その右手に目をやると、ススキの穂がかなり広い範囲で風に揺られていることに気づきました。背の高さもセイタカアワダチソウよりもかなり高そうです。日本の秋の風景が、外来のセイタカアワダチソウから日本古来のススキへ、あるいはアシへと回帰してきたのでは実感したひとときでした。
こんなことは、何もなければ意識することもなかったでしょうが、ある通信誌の中の文書を読んで、ちょっと意識するようになりました。京都にお住まいの敬愛するお一人の書かれた文章です。その文章の意を自分なりに汲み取ると、セイタカアワダチソウを西洋的価値観、ススキやアシを日本的情緒の象徴として捉えていらっしゃいます。不自然なまでに日本の自然を占拠してきたセイタカアワダチソウが衰退し始めたのが、3.11を契機とした今年と軌を一にしているという見方です。
観念論的ではなく、理数分野を専門とする経営者であるこの方の考えは、今の流れと照らして見ていますと、思わずうなずいてしまいます。ここ数十年、ススキやアシはセイタカアワダチソウの前に窮屈な思いをしてきたのかもしれません。でも、生育の環境はこれから整いつつあります。できれば、あの公園の光景のように、せっかく日本に入ってきた外来植物も共存しながら、仲良く育ってほしいと思った次第です。
(2011.10.18)