数日前の3月12日、この日は公立高校の合格発表の日でした。穏やかな日和となったこの日、午後から近くの公立高校へ足を運びました。合格発表は午後2時からです。あと数十分ほどで自らの結果と向き合うことになる生徒さんたちのいるその場へ向かいながら、これまでのいろいろな出来事が頭の中をめぐっていきます。それでも、それらの鮮明な映像は、頭上一面に広がる霞のかかった春の日ざしにぼかしを入れられていくようで、緊張感と心地よさが同居する、何とも不思議な気分でした。
長い階段を上がっていくと、中学の制服を着た受験生たちが大勢集まっています。わずか10メートル先にある、覆いがかけられ、その下に合格者の番号の書かれた掲示板を取り囲むようにして、覆いがはずされるその瞬間を待っています。あちらこちらからザワザワと聞こえてくる小声のやりとりは、どことなくそわそわしているように感じられます。発表までのあと数分が、なんと長く感じられたことでしょう。
午後2時になり、掲示板から覆いがはずされました。この時を待ちわびていた受験生たちは、恐る恐る掲示板に近づいていきます。緩やかな歩みが徐々に加速され、あっという間に掲示板の前は人でいっぱいです。そして、ほぼ同時に歓声があちこちから沸き起こりました。抱き合って喜ぶ姿も見られます。そうした姿をテレビ局のカメラが追っかけています。
中学の制服を着た受験生たちは、次々と掲示板の前にやってきて、そして表情を変えてその場を離れていきます。こわばった表情を緩めることのできた受験生は、高校の制服を着る手続きをするため、保護者の方と隣接する校舎へと向かっていきます。そんな中に掲示板を離れ、足早に校門へ向けて駆けていく生徒の姿を見つけました。ついこの間まで、いっしょに勉強をした当館の生徒です。
状況のわからないまま、後を追いかけていきました。タッタッと駆けていく後ろ姿からは、その表情をうかがい知ることができません。これから結果を見に行く受験生が何人も校門をくぐり、彼女とは反対の方向へ歩いていきます。ふとその生徒は足を止め、何故か向きを変えてこちらに向かって走ってきました。私の存在に気づき、速度を速めて近づいてくるその形相は、険しいというより必死で何かを伝えようしているように見えました。
結論から言って、彼女は合格していました。真っ先に自分の受験番号があることを確認していたこの子は、それでも自分の結果に半信半疑の状態が続いたまま行ったり来たりしていたようです。改めていっしょに掲示板で番号を確認して安心したのか、校門の外で待っておられる保護者のもとへまっしぐらに駆けていきました。合格発表の日の微笑ましい光景でした。
当館でお預かりした生徒さんは、みな志望する高校へ入学することができることになりました。素直に喜びたいことと思います。2月に始まった高校入試は公・私立の推薦入試を経て、私立一般入試、その後の国立(高専)の入試、そして公立高校一般入試と流れてきました。それぞれの場面にドラマがあって、そのたびに、この子たちは短期間の中で大きな成長を見せてくれたように思います。
とりあえず当館が彼らに果たすべき役割は終わりました。少しだけ安堵の思いを胸に、合格発表の光景が続くその場所からそっと離れていきました。ここには別のドラマも用意されています。近くで泣きじゃくる母子の姿を見かけました。その涙に喜びの気配は感じられませんでした。願い叶わず押し殺していた悲しみや悔しさが、一気にあふれ出てきた涙のように映りました。
見知らぬその方たちの背景を知る由もなく、軽々なことを申し上げる権利は持ち合わせてはいません。でも、この日の早春を告げる穏やかな太陽の光は、その場を共有した悲しみの表情の人たちにも、喜びの表情を見せる人たちにも、切ないくらいにすべての人に柔らかく降りそそいでいました。受験を終えた人たちや、彼らをこれまで見守ってきた保護者の方たちすべてに、確かに春の温もりは伝えられていたように感じられました。
帰り道、やはり穏やかな日和はそのままでした。つい先ほどまで目にしていた鮮明な合格発表の場での様々な光景は、やはり頭上一面に広がる霞のかかった春の日ざしにぼかしを入れられていくようで、安らいだ気持ちと切ない気持ちが同居する、何とも不思議な気分になっていました。青葉学習館までは、もうしばらくかかります。歩きながら、霞のかかった淡い青い空を眺めていて、ぼんやりとしたイメージが思い浮かんできました。
それは、道しるべが見当たらなくて迷っているときのイメージです。目の前には頼りないほどの細い糸しか見えなくて、それでも、その糸を頼りに道を探るしか術がなければ、細くともその糸をたぐり寄せながらゆっくりと進んでいきます。いつ切れるともしれない、命運を託すにはあまりにも細すぎるその糸を、それでも決して手放さないで進んでいきます。そうすると、しだいに糸は太さを増していき、その糸の先には自らの歩む道が存在していることに気づかされます。
こんな経験は、人生を長くやっていくと一度や二度はあるもののようです。経験者としてはそのように感じます。ここから先は未経験ですが、太くなっていく糸はさらに太さを増し、やがて1万トン級の船舶を引っ張ってもビクともしない鋼のロープと化すことも想像していれば、実現することだってできる日が来る気がします。そんな思いを、だんだんと後ろに小さくなっていく公立高校の方へ向けて、誰にということはなく伝えたい気持ちになっていました。
青葉学習館が見えてきました。夕方には次の世代の生徒たちがやってきます。春の霞に包まれた夢見心地はここまでです。また新しいドラマが始まります。
(09.3.17)