先日、広島市内にある星槎国際高等学校の卒業式に出席しました。当館が親しく交流させていただいている通信制の学校で、何度も訪問しているのですが、卒業式に出席するのは初めてです。気軽な気持ち、と言っては失礼ですが、星槎のスタッフの方の隅っこの方にでも混ざって、卒業される生徒さんたちを温かく送り出すお手伝いをしたいという思いで、会場の中国新聞ビル内ホールへと向かいました。
受付をすませると、在校生の方に丁重に会場内へと案内していただきました。生徒たちは礼儀正しくきびきびと動いておられました。ただ予想外だったのは、「来賓席」がこれから卒業証書授与が行われる壇上に設けられていたことでした。他の立派なご来賓の方たちと同席させていただき、間近な場所で一人ひとりの卒業証書授与を見守らせていただくこととなったのです。
名前を呼ばれた生徒さんは一人ずつ壇上に上がってこられます。丁寧に私たちにも一礼をしていただき、壇の中央へと歩みを進めます。そこでセンター長さんから卒業証書が一人ひとりに丁寧に手渡されます。その都度、会場からは温かい拍手が壇上へ向けて送られてきます。壇上からも他のご来賓の方といっしょになって一人ひとりに拍手を送り続けました。そして、こちらの方が何だか温かい気持ちになっていくのを感じました。
この日卒業式を迎えた生徒さんたちと接する機会はあまりありませんでしたが、壇上をしっかりとした足取りで歩み、堂々と前を見て卒業証書を受け取る姿を拝見していると、訳も分からないまま心を動かさずにはいられませんでした。おそらくは、この日を迎えられるまでには、思い出すのにはちょっと辛いような出来事と、それを乗り越えるのに自らの決心を必要とした日々と、それをサポートしてきてくれた多くの方たちに囲まれて、ここまでやってこられた、という人が少なくはないのでしょう。
(ここからは星槎さんの話ではありません)
至る所で、あまりにも簡単に人ひとりの存在が軽視や無視、あるいは否定されるような場面を耳にしますし目にします。理由もなく周りから否定的な扱いを受けるのは辛いものです。時には否定される側の人間が否定する側へ役柄を変えることも珍しくはありません。そんな中で、神経を磨り減らしながら毎日を過ごしている若者が大勢いるように見受けられます。
周りから存在を否定され、認められないまま日々を過ごしていけば、自分で自分を肯定することも難しくなってきます。難しいというより肯定される経験が乏しければ、どうやって自分を認めていいのか分からない感覚になって、不安定な状態に自らを置いてしまいます。できれば人との接点を絶ちたいとまで思いは揺れるかもしれません。それでも、心の内は悟られまいと笑顔で表情をコーティングしてしまえば、余計に神経が磨り減ってしまっていることでしょう。
(ここから星槎さんの話にもどります)
壇上で卒業証書を受け取る生徒さんたちの穏やかな表情は、言うまでもなくコーティングされた「作り物」ではありませんでした。繰り返すようですが、思い出すのがちょっと辛い経緯を辿ってきた人は少なからずいらっしゃるはずです。それでも「お互いを認め合おう」という方針を打ち出されている、この学校での生活を経て、「心の置き場、身の置き場は存在する」ということを体験されたのでしょう。
そして、これから大学や専門学校、そして社会人と、次のステップへと踏み出していく、まさにその大切なシーンを目の前で共有させていただきました。卒業されたみなさんが、それぞれの進路先でのまた新たな出会いの中で、穏やかでいきいきとした日々を過ごされることを望みます。
(09.3.30)