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ちょっと休憩室で…

 

 

ホームページを気を入れて作ってみると、「こんなにエネルギーを使うものか」と実感しました。ささやかなサイトに過ぎないのですが、それでもです。

このページは、特にテーマを設けず、その時々のことをちょっと息を抜いて書き込ませていただく、という制作者が休憩させていただく勝手なページです。申し訳ありません。

 

 

 

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   意識の最小公倍数
 

小学生は6年になると、算数で倍数・公倍数について習います。すでに大人になられた方も「最小公倍数」というのを憶えていらっしゃるでしょう。「忘れた」という方もちょっと思い出してみて下さい。例えば2と3の最小公倍数なら6で、6と8の最小公倍数は24となるあれです。この中に最近ちょっとハッとすることを気づきました。今回は、そのことについて気楽に書いてみます。

 

まず、これを手拍子で表現してみると、次のような感じになります。一人が2拍子で「1、パン、3、パン、…」と手をたたき、もうひとりが3拍子で「1、2、パン、4、5、パン、…」と手をたたくと、最初に二人が同時に手をたたくのは、6のときということになります。ここに4拍子の人を加えると、三人が同時に手をたたくのは、12のときとなり、さらに5拍子の人を加えると、同時に手をたたくのが60のときと、だんだんと長くなっていくことがお分かりいただけるでしょう。

 

では、もう少し数を増やして、1拍子から9拍子まで九人で同じことをやると、同時に手をたたけるのは何拍目でしょうか?…正解は、840拍目です。決して小さな数字ではありません。そこにもう一つ、10拍子を加えて十人で同じことをやってみましょう。すると全員が同時に手をたたくのは、なんと2520拍目となります。たった一つ数を増やしただけで、ちょっと気の遠くなるような数字になってきました。

 

これは、できれば実際になさってみると良いかもしれません。子どもさんが何人か集まれるところや、あるいは大人の方が集まられる場所でもいいでしょう。そして、ご自身も手拍子に加わってやってみると、きっと何か実感されることがあるでしょう。2〜4拍子くらいを少人数で始めてみると、最初は間違えて手をたたかないことに意識を取られて、自分のリズムに全部気がいってしまうのではないかと思います。

 

それが、だんだんと慣れてきて、手拍子に加わる人数を増やしていくと、それぞれが周りの人の手拍子にも意識が向けられるようになってきます。そして、みんなが同時に手をたたく「パーン」という瞬間には、何かしらの共有する感覚が発生することを気づかされると思います。それを、感動という言葉で表すのが正しいのかどうか分かりませんが、ちょうど大縄跳びでいっせいに何十人もがジャンプするのと同じような、何か心地よい感覚を体験されるのではないかと思うのです。

 

それでも、大縄跳びと違うのは、大縄跳びは何人参加しても、いっせいにジャンプするリズムは一定ですが、手拍子の方は人数が増えれば増えるほど、いっせいに手をたたく間隔がどんどん長くなっていきます。いっせいに「パーン」とやる心地良い体験を一度でも味わうと、何十拍も何百拍もそろわないでバラバラに聞こえてくる手拍子がもどかしく感じられることでしょう。できれば、早くみんなでそろえて「パーン」とたたきたい、そんな思いを、特に9拍子とか10拍子といった数の多い拍子を担当した人は、役割分担上そうなったにもかかわらず、何か後ろめたい気持ちを含めて感じられるようです。本当にやってみられることをお勧めします。

 

ところが、いっせいに手拍子を合わせる心地よさを未体験の人にとっては、12拍だの60拍だのの「待ち時間」は、ただの「退屈」でしかなくなります。退屈を回避するために、「自分は好きな時に好きなように手をたたく」という判断を選択するかもしれません。みんなが思い思いに手をたたくとなると、「同時にパーン」の意識は相当薄くなり、仮にそれを実現しようと思っても、それは相当困難なこととなります。

 

思い思いにそれぞれの人が、ある時は7拍子、ある時は11拍子などと不規則なリズムを刻むと、そこに要する最小公倍数は何千拍、何万拍先となります。また、最近では拍数が大きくならなくても、「これが私のリズムだ」とばかりに「1.3拍子」や「2.7拍子」など「高等技術」を駆使した「進化系」の変速リズムを用いられると、「同時にパーン」の可能性は億や兆か、ひょっとしたらその次の京の単位の先にまでいってしまうかもしれません。

 

今、ごらんになっているウェブの世界でも、掲示板やブログの「炎上」が最小公倍数のインフレーションによって発生していると思われるサイトをときおり見かけます。多くの人が意見を交わす中で、最終結論に「不一致の極み」を望む人はいないはずであろうに、会社の会議で、クラスの話し合いで、何人か集まった友だちどうしの会話の中で、あるいはテレビの討論番組の中で、いろんな場面で同時にパーンと手をたたきたくてもたたけない不快感を味わうことが多くなっているように感じられます。

 

最小公倍数を小さくする究極の方法は、みんなが1拍子で手をたたくことです。現実には「そんなことは不可能」と感じられるかもしれません。でも、それだって「本当にそうだろうか」と思ったりもします。すべての民族がそれぞれに優れた資質を備えているように、日本人には元々繊細な波長を有する資質が備わっているようです。細かく刻んだビートの上に、ゆったりとした波長を乗せることなどお手のものです。強弱を自在に操り、あたかも4拍子に聞こえる1拍子を作り出すことなど、いとも簡単にやってのける能力を本来有しているはずなのです。

 

ふだんは、一見して各人がそれぞれ異なる波長で、思い思いの手拍子をたたいているように見えても、必要となれば本来の1拍子を表に出して、共鳴音を辺り一面に響き渡らせていく、そうした能力が自分にもあると、多くの方が気づいていけば、そこには居心地の良さを感じることでしょうし、息苦しさなんて感じることもないでしょう。

 

それに、くせ者の2.7拍子などの「高度進化系」変速リズムでさえも、それなら0.1拍子といった、こちらも「高度進化系」極細波長の中に乗せる、というか包み込むことも可能にしてしまうのではないかと思われます。ここまで気楽に書いてきましたが、「同時にパーン」の心地よい瞬間を共有することが、今は必要とされているようだし、それを増幅可能にする柔らかな気持ちが必要とされていると感じたのでした。

(09.6.13)

 

クョスコニョ    [1] 
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