青葉学習館の秘話
●このページには、ひょっとしたら「何考えとるん?」と言われかねないことが書いてあるかもしれません。ここまでお見せしてしまうと、当館の中の中まで見えてしまうのではないか、というページになってしまいました。でも、もともとそのつもりで立ち上げたホームページです。どうぞごらん下さい。
■「師」に学ぶ必要
当館の館長は本来トップに立つ器ではありません。どちらかと言えば参謀型の人間です。緻密なプランを立ててお膳立てをしていく、という役割が以前は主でした。主(あるじ)としての度量はいたって未熟と言わざるを得ません。それゆえに「師」と呼べる方たちから常に学んでいく必要がありました。
師のお一人に、元公立中学校校長先生がおられます。お名前を梶本洋生先生と言われます。ご在職時から学校の現状を冷静に分析なさり、教育現場の良いところ悪いところを明快にご指摘なさいました。それでいて人情味のあるお人柄です。多くを学ばせていただきました。ご退職後はフリースクールの学院長に就任なさり、当館の講師と共に出向き教えを請いました。直筆の学びの書を数多く与えていただきました。この方から、学びを積み上げてものを語ること、学びを積み上げるほどに謙虚になることを学ばせていただきました。今は他界なさられました。
これで学びが終わりではありません。とんでもありません。その後も幾人かの師から学びをいただき、今に至っています。
■かつて青葉学習館が送った手紙
2003年2月、当館は当時の思いを素直に行動に移したことがありました。それは下の手紙をご同業の方たちに送るということでした。差し出した総数は100通近かったと思います。その大多数は当館の存じ上げない方たちでした。
(下へ続きます)
心ある教育者を探しています
教育が窒息しかけています
蘇生させる役割を担えるのは、私たち教育者たちではないでしょうか? それでもこんな言い訳をします 「今年も無事に新年度を迎えるために…」 「いっこうに良くならない世の中で、何とか生き残っていくために…」 そして、「誰かがいつかやってくれるだろうから…」 … 自らの存続を維持するために、あらゆる現状を正当化してしまって、 いつか持っていた教育者としての志を どこかへおいてきていないでしょうか?
冒頭よりのご無礼、ご容赦下さい。日々ご尽力なさっていらっしゃる先生方には申し上げることではないのでしょうが、どこからとなく聞こえてくる叫びのような訴えを書き上げてみると、上のような言葉になってしまいました。
このような思いに関わらずとも、さほどの支障もなく毎日を過ごせるのなら、私とて小さな学習塾の経営をする者として、無益なことに労力を費やすより現状を維持していくことの方が容易ということになるのでしょうが、日常レベルの現状を見るにつけ、どうしてもそのように思えません。
それは、道義的な側面からというのでもなく現実的な面において感じられるものです。教育現場での具体的な実例は、先生方にはご不要かと思いますが、例えるならば、大人も子どもも残り少ない果実のなる木を巡って争奪を続け、新たな果実が実を付けるのを待たずして、最後の一つまで食べつくし、勝者すらも果実にありつけなくなるといった状況です。この例えは、他の業界をご覧いただければお察しいただけようかと思います。
このたびは、一度掘り起こしたこの思いを再びしまい込むのではなく、外へ向けてみたいと思い、本状を送らせていただきました。先生方がどのようなお考えを持たれ、これからのことをどのようにどう考えていらっしゃるか、お互いがそのような話を安心してできる場をと、別紙の通り勉強会を開催することを思い立ちました。
当会では現状のマイナス面を再認識するのではなく、現実に即した中から蘇生の方向へ向かう有益な話が1つでも2つでも出るよう進めていきたいと考えています。趣旨ご理解の上、ご関心をお持ちいただけましたら是非ご出席下さい。お待ちしています。
2003年2月 青葉学習館 渡部 憲
(上からの続きです) 素性の知れぬ小さな塾からの手紙でしたから不気味だったかも知れません。同封してあった返信ハガキは、ほとんど返ってきませんでした。当然と言えば当然です。しかし、それでも返信はゼロではありませんでした。何通かの返信が送り返されてきたのでした。
その一部は、丁重に欠席通知をご連絡いただいたものもありました。当時のほとんど反応のない圧倒的な落胆の気持ちの中では、欠席のご連絡にも感謝の気持ちがこみ上げてきました。そして、手紙でご案内差し上げた勉強会は以前からのお仲間の方も含めて10名で行いました。
■それでも灯火は消えませんでした
その後、この会は不定期に続いていくことになります。一人また一人とお仲間が加わり、地味ながら地道に継続していきました。内容は都度まちまちで入試に関するテーマを採りあげたかと思えば、卒業した教え子を講師に招くなど、あまり枠にはまったことはしてきていません。時にはこの会に(もっとも名前などつけていないのですが…)心強いアドバイザーをお招きしたこともあります。
荒川純太郎先生 1998年より地球市民共育塾「共生庵」を主宰。「ひろしま人と樹の会」会長をはじめ、「地球市民共育塾ひがしひろしま」代表、開発教育協議会理事、など多くの肩書きなど持たれるも、自然の中に出会いの場を提供され、「自分らしさの回復」を促される活動を行われています。広島県三次市三和町在住。
佐古利南先生
山口県立高校元校長。1998年校長として赴任された最後の学校で荒れた様子に直面され、保護者、教職員の協力を得て学校改革に取り組まれます。取り組みの一つにトイレ掃除があり、現在も「岩国掃除に学ぶ会」の代表を務め、各学校のトイレ掃除を実践指導。人のいやがる仕事を自ら率先してやる「下座に下りる」を信条に、現在も年数十回の講演活動や清掃活動を行われています。山口県岩国市在住。(関連記事)
上記のお二方がどれほどの人物であるか、ご存じの方であればお分かりかと思います。優れた功績を多々残していらっしゃることは言うまでもないのですが、この方たちによって心の中に灯火を再点火された方は少なくありません。このお二方も当館にとっては師と仰ぐべき方たちなのです。
この会の様子は、折に触れて報告していきます。ここ最近でも、多くの学びをいただく方との出会いや、心を開いた熱のこもった議論など行っています。そしてこれが、「器以上」の活動であることは十分自覚できていることです。それを可能にしているのは、まわりの方たちの存在であることもまた十分自覚できていることです。資力も強力なリーダーシップも持ち得ない当館にある財産は、唯一「人の力」です。この思いはこれからも変わらない当館の思いです。
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